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第四章 母・エバの自殺 ジョンが帰って来た。 家のドアーをノックしたので、二人はドアーの前に立って、二人で開けた。 「やあ、ただいま。やっと解放してもらったよ」 笑いながら、何の屈託もない表情でジョンは言った。 「おかえりなさい」 キムは笑って言ったが、この言葉が精一杯だった。 「おかえり。英雄殿」 ボブも精一杯のジョークだった。 しかし、ジョンは、彼らの言葉を軽く受け止めてリラックスしていた。 まるで以前の善良なる清らかなジョンであった。 「お父さんが、ジョンが戦場に行ったあと倒れて、三ヶ月ぐらいは体調も良くなっていたけど、その後、様態が急変して・・・・」 ボブが躊躇いながら説明しているのに、ジョンはまったく動揺しないで、冷静に言った。 「今日、町のみんなから聞いたよ。僕が戦争の英雄になったことを聞いて、急に悪くなったらしいね。よほど、僕のことが疎ましかったんだろう」 キムは黙っていられず、重い口を開いた。 「お父上は、あなたが戦争反対者だったからショックを、お受けになったのよ」 ジョンは笑いながら、キムに向かって言った。 「まあ、もう亡くなった人の話はよそう。僕にはもう関係ないよ」 我慢していたボブが、この言葉で爆発しかけた。 それを察知したキムが、気を利かして話題を変えた。 「今宵は祖国のヒーローの御帰還なんだから、思い切りご馳走を用意したわよ!」 ボブを無視するかのように、ジョンはキムに向かって、笑いながら質問した。 「僕の妻として、しっかり僕の家を守っていただけでなく、料理の腕前まで磨いていてくれたのかい?」 キムは思った。 『この人は、こんな皮肉を言う人間ではなかった。やはり、戦争が人間を変えてしまったのだ』 「ボブ。今宵は、僕たちのために、わざわざ来てくれたのかい?今はどこに住んでいるんだい?エデンの東にあるノドという町に行ったと聞いていたが・・・・」 エデンの東にあるノドという町は、ジェイコブが脳卒中で倒れたとき、ジェイコブの友人のクラークが、サリナスを出てノドへ移れと、ボブに言った町のことだ。 『どうして、ジョンは、ノドの町のことを知っているのだろう?』 疑問に思っていたボブに、ジョンが最後のとどめを刺した。 「今日のパレードのあとのパーティーで、クラークが、みんなの前で言っていたよ。ボブはノドにしか住めない身なのに、今でも、この神聖なサリナスの町にいることは、サリナスの住人にとって不名誉なことだと・・・」 キムが、ボブの方を向き直すと、そこにはもう誰もいなかった。 そしてジョンが大笑いしていた。 気がつくと、ボブはモントレーの町に来ていた。 エバの酒場に入っていくと、中は大混乱の渦だった。 「どうしたんだい?」 とボブが酒場で働く少女のマライアに訊いたら、声を震わせながら、 「エバが部屋で、エバが部屋で・・・」とそれ以上声が出ない。 「エバが部屋で、どうしたんだい!」とマライアの体を思い切り揺り動かすと、少し冷静になった様子で、 「エバが部屋で、手首を切って自殺したの」と言った。 ボブは、咄嗟に奥の廊下を走って、エバの部屋に入ろうとしたが、保安官が調べている最中で、誰も中には入れない。 「僕はエバの息子のロバートだ、中に入れてくれ!」 と叫んだ。 その声を聞いた保安官は、ドアーの処にやってきて、集まる人間を掻き分けて、ボブに言った。 「本当に、お前はエバの息子かい?エバに子供がいるとは知らなかった。どこから来たのだ?」 と保安官に訊かれて、ボブは答えた。 「サリナスから来ました。父はジェイコブ・ベネディクトと言って昨年、脳卒中で死にました」 保安官はジェイコブのことを知っていたらしく、 「サリナスのジェイコブさんがエバの旦那だったとは、これは驚きだ。あんな立派な人の女房が、ここの主人だったとはね」 余りの意外な事実に驚きながらも、保安官はボブを部屋に入れた。 机の前の大きな椅子に、前かがみになって、真赤な血を机の上に流して、エバは息を引き取っていた。 『お母さん!』 ボブは声を出さずに、胸の内で叫んでいた。 自分の性格は、母親のエバの血を引き継いでいたと思うボブは、ジェイコブを尊敬しながらも、親近感はエバの方に持っていた。 それだけに、ジェイコブの死よりも衝撃は大きかった。 「一体、どうしてエバが自殺したんだろう?」 保安官がボブの方を向きながら呟いた。 自分に質問しているのだろうとボブは思ったが、何も答えなかった。 「お前の名前は、何て言うんだ?」 保安官に訊かれてボブは答えた。 「ロバート・ベネディクトです」 「ロバート?」 と聞いて保安官は呆然とボブの顔をしげしげと眺めた。 ボブは、一体何のことか分からず、エバの無残な姿を見つめていた。 エバの自殺を取り調べていた保安官の名前はデヴィッドと言った。 「ロバートとは、また嫌味な名前を、ジェイコブはつけたもんだな。お前さんも気の毒に。そうか、そう言えば双子の兄弟で、兄貴の方は戦争で英雄になったジョンというんだろう。やはり、名前は、その通りの人間をつくるんだな」 保安官はため息をつきながら、しげしげとボブの顔を見ながら言った。 小さい頃からロバートという名前は、聖書では、あまり良くない名前だとは聞いていたから、まわりの者はほとんどボブと呼んでいたのだ。 『ジョンは、そのまま呼ばれているのに、何故、自分はロバートと呼ばれずにボブと呼ばれているのだろう?』 深く悩むほどの問題ではないと思っていたが、どこかでいつも心に引っかかっていた。 あれだけ、敬虔なクリスチャンの父親の下で育ちながら、ボブは聖書を一度も呼んだことがなかった。 ジェイコブが、食後に二人の子供に読んで聞かせても、ジョンはまじめに聞いているのだが、ボブはいつも上の空だった。 保安官が言った、「嫌味な名前」には、さすがボブも堪えた。 しかし、その前にジョンとキムに、エバが死んだことを知らせなければならない。 「もう二度と家に帰らない」と決意したボブだっただけに、どうしていいか途方に暮れてしまった。 「わしから、サリナスに連絡してやろう」 保安官が言ってくれたが、ボブは迷っていた。 『どうしよう。エバが死んだことを知ったらジョンはどんな反応をするだろうか・・・』 そのことが、ボブの頭から離れなかった。 自分がエバのことをジョンに教えたため、ジョンはショックを受け、ジェイコブは脳卒中で倒れて死んだ。 ジョンが入隊してサリナスの町を去ったあと、エバは十五年ぶりにジェイコブに会った。 ジェイコブの意識が大分戻っていた時だったので、エバだと認識していたが、死期が迫っていることを知っていたのか、ジェイコブは暖かい表情でエバを迎えた。 「よく来てくれた。もう二度と顔を合わすことはないと思っていたが・・・」何とか自分の想いをエバに伝えたかったのだろう。 ジェイコブとエバとの結婚生活は尋常なものではなかった。 敬虔なクリスチャンであるジェイコブのストイックな考え方と、派手なことが好きで、いつも男からちやほやされるのが生きがいだと思っていたエバでは所詮水と油の関係であった。 しかし、二人の別離に決定的なとどめを刺したのはむしろジェイコブの表面的なストイックさと、内面で渦巻く男の嫉妬心との乖離であった。 エバも単なる男性の嫉妬なら許せるが、欺瞞に満ちた偽善には我慢ができなかった。 そしてエバが家を出る決定的な要因となったのは、ジェイコブの二重人格が双子の子供にまで影響したことだ。 それがロバートとジョンという名だ。 クリスチャンとしてのジェイコブはジョンにラップさせ、嫉妬心に怒り狂うジェイコブはロバートに投影していたのだ。 『もう聖書なんて御免だ!』 ボブは叫んでいた。 |