|
第五章 さらばサリナス 気持ちはすすまなかったが、ボブは、エバの死をジョンとキムに伝えなければならないと思った。 サリナスに戻ったボブは、先にキムの家に向かった。 ボブは、キムの家族から認められていなかったので、玄関から堂々と訪ねることが出来なかった。 いつものように二階の屋根に昇り、キムの部屋の窓ガラスを叩いたら、幸い、キムは部屋にいた。 「ボブ、どこへ行ってたの?」 と訊くキムに、「エバが昨日自殺したんだ」と、ボブは話した。 「何ですって。モントレーに行ってたの?」 キムは驚いた表情をした。 「ああ、エバの酒場に行ったら様子がおかしくて、中に入ると保安官が来ていた。人垣を掻き分けてエバの部屋に必死で辿り着いて、開いているドアーの前に立つと、部屋の中の机の上が血だらけになっていて、エバの頭が横たわっていたんだ」 「まああ、何てことを!」 キムは驚愕して、目から大粒の涙を流した。 「ジョンにはまだ言ってないんだ。一緒に行ってくれないか?」 気弱になっているボブの様子を察したキムは頷いた。 「下で待っていて。すぐに用意をするから」 ボブは前庭にある大きな木の下で隠れるように待っていた。 なかなかキムは出て来ない。 不安な気持ちがよぎりかけた瞬間、キムがボブの前に立っていた。 ボブはキムの出立を見て驚いた。 大きなトランクを持って、裏からこっそりと出て来たのだ。 「どうしたんだい。その姿は?」 真剣な表情でキムは彼に告白した。 「わたしも、あなたと一緒にサリナスの町を出るわ」 ふたりはジョンのいる家に向かった。 家に着いた二人は、家の前にあるベランダの椅子に座っているジョンの姿を見つけた。 ジョンも二人に気がついたらしい。 「やあ、やって来たね。二人で一緒にやって来るのを待っていた。エバが自殺したんだろう。モントレーの保安官から連絡を受けたよ」 動揺した様子はジョンにはまったくなく、却って晴ればれとした顔つきをしていた。 ジョンの態度に、またもや激高したボブは彼に殴りかかった。 あの遊園地の一件のとき、ボブはジョンを殴り倒した。 その光景が一瞬、ボブの頭をよぎった。 ボブの攻撃が怯んだその隙に、ジョンは、今こそ仕返しをとばかりに待ち構えてボブを思いきり殴打し続けた。 これ以上続けたら、ボブが死ぬのではないかと思うぐらい、ジョンは憎しみを込めてボブを殴り続けた。 「やめて!ジョン」 悲鳴をあげるキムの声を無視して、ジョンは殴り続けた。 体についた土が血と混ざって、全身どす黒く泥まみれになって、顔も分からない状態になったボブは、呻きながら必死に声を出した。 「気が収まったかい。これで、僕も心おきなく、この町を去ることができる」 ボブの迫力ある言葉に圧倒されたジョンは、手を止めて呆然と立っていた。 「キム。君はサリナスの町に留まるんだ。僕は一人で行く」 呆然と立っていたキムは、ボブの言葉に返事することが出来なかった。 ジョンとキムは、泥まみれになったボブの姿がどんどん小さくなっていくのを呆然と眺めているだけだった。 ボブはサリナスの駅からフリスコに向かう汽車に乗った。 もうサリナスの町に思い残すことは何もなかった。もちろんキムのことは気になったが、考えてみればキムとジョンは長い間恋人同士であったから、すぐに元に戻れるだろうと思っていた。 大豆の投機で儲け、父のジェイコブにプレゼントしようとしたお金が、まだ一万ドル以上残っていた。これからの生活の当てはなかったがお金の面の心配はないボブだった。 汽車がフリスコに近づいてきたので、ボブは考えた。 『ここで降りようか、それとも、もっと先に行くべきか』 サンフランシスコ駅のプラットホームに入った汽車の中から町の風景を見ると、なんとなくしっくり来ないボブだった。 サンフランシスコやロスアンジェルスは大都市だが、ボブには馴染めそうな雰囲気ではなかった。 カリフォルニア州の州都はサクラメントである。 フリスコやLAのような大都市がありながら、それほど大きな都市でないサクラメントがカリフォルニアの州都なのだ。 ヨーロッパから移住してきたアメリカ人にとって西へ西へと希望をもってやって来た夢の地域がカリフォルニアだった。 そこの州都がサクラメントであったのは、やはりゴールドラッシュの中心であったからだ。サクラメントの町には、その面影がまだいっぱい残っていた。 新しく開発したニュータウンと、昔の面影をそのまま残したオールドタウンが両方残っている貴重な町だった。 『そうだ、サクラメントに行こう。そこで事業を興そう』 ボブは心に決めた。 フリスコの町を出てゆく汽車の中から駅を眺めていると、ジョンのことが思い出された。 『ジョンはここで入隊したんだろうなあ。その時のジョンの気持ちも多分、今の自分のようなものだったんだろうなあ・・・・』 ジョンに、そのきっかけをつくったのが自分だったのだから、こういう結末になるのも仕方ないとボブは思った。 ボブはジェイコブやジョンと違って母親のエバの血を濃く引き継いでいて、商売に対する勘が鋭く働いた。 戦争が起こるのを予想して大豆に投機したのも、まだ二十才にもならない青年では普通出てこない発想だった。 エバにお金を借りに行ったとき、大豆の投機の話をしたら、エバもボブの着眼の良さには舌を巻いていた。 ゴールドラッシュで欲望が渦まいたサクラメントのオールドタウンには、お金の匂いが今でも残っていると聞いたことがある。 汽車の中から、どんどん消えていくフリスコの町を横に眺めながら、サクラメントのオールドタウンに思いを馳せていると、サリナスのことも忘れてしまうぐらい、希望の灯が胸の中で大きくなっていくのだった。 『サクラメントを、自分の人生のスタート点にしよう』 見たこともないサクラメントに、あと数時間で着くと思うと、ジョンに殴打された傷の痛さも忘れてしまうボブだった。 |