第十章 奇跡を生む力

人間の世界では、自分たちの知性を超えたことが起きると奇跡といいます。
しかし人間の知性は絶対宇宙から見たら赤ん坊よりも低い。
子供は大人のすることはすべて驚きの目で見ますが、大人にとってはごく当たり前のことでも子供には奇跡のように見える。しかし人間の本質のレベルは20才の人間も、40才の人間も、80才の人間もほとんど5才程度の子供と変らない。
逆に人格形成がまだ為されていないだけ5才の子供の方が本質レベルの成長能力は高い。
人格が形成されるということは人間社会という動物園にとっては物分かりのいい動物になっていく訳で、社会のルールを守って檻の中でおとなしくしてくれるから都合がいい。
しかし本来生まれ持っての、それぞれの動物の特性つまり本質は成長するどころか、人格という雲に覆われた空のように失うことはないが消えて見えなくなる。
こうなったら奇跡とはまったく無縁の人間になる。
つまり、奇跡という現象は、檻の中にいる動物が檻から出てジャングルで生きている同じ種類の動物が、日々当たり前のようにやっていることを檻の中から見ていることに過ぎない。
子供の頃は檻の中にいても檻の枠を意識していない。檻の中もジャングルも一緒なのです。
だから驚くことばかりを経験する、なぜならその檻は人格という材質でできた実体のないものだから、大人の動物にとっては檻であっても子供の動物にとっては檻ではない。
ジャングルは自然そのもので宇宙の法則に則った世界であり、その世界で起きていることはすべて必然性を持ったものであります。
それを檻の中から見ていると奇跡に見える。ジャングルの中ではごく当たり前のことが檻の中では奇跡に思える。
もっと絶望的なのは檻の中にいる大人の動物は檻の外のジャングル自体も見なくなってしまっていて、檻の中が世界のすべてだと思っている、いや思おうとしていると言った方が適切です。だから子供がジャングルでの出来事に驚くたびに大人は子供を叱りつける。ジャングルを見ないように叱りつける。
そこでそれぞれの動物の特性は無くなり、ライオンも猿も鷲も鳩もみんな区分けが出来なくなってしまう。
人間にとっては個性の喪失となる。つまり宇宙とのパイプが切断される。
人間の誕生がここから始まる訳ですが、人類という動物からわたしたち「想い」の世界の一員となった人間として緒についたところなのです。
切断された宇宙とのパイプをもう一度つなぐ為の旅立ちが人間としての誕生であるのです。
そして再び宇宙とのパイプをつなげることの出来た人間が、地球のエネルギーを月が必要とするエネルギーに変換できる役割を果たすことが出来るのです。
これが人間社会でいう、奇跡を生む力のことを言うのです。
宇宙とのパイプがつながっている人類という動物から、そのパイプを切断されて孤独な存在に放り出された人間が再び宇宙との新しいパイプをつなげて、新しく宇宙の一員になる為の苦難の道が、人間としての宿命の旅であることを認識して頂きたいのです。
思えば不憫な存在で、宇宙の一員であれば何でもないようなことが彼ら人間にとっては困難極まりない、不可能に思える無力感を植えつけられたのですから。
しかしこの苦難を乗り超えて宇宙とのパイプを再びつなげることが出来たとき、意識して奇跡を生む力を備えた有機生命体に変貌できるのです。またその可能性を与えられたのが人間だけであることを誇りと思って頂きたいのです。