第十一章 怠惰な人間

人間には 肉体的には 怠惰な人間とそうでない人間がいます。
しかし 精神的には ほとんどの人間は怠惰そのものです。
肉体に鞭打つことは、それほど困難なことではありません、肉体が限界点に達すると勝手に意識を失ってしまう、そこで努力の臨海点がやってくる。
しかし、肉体の努力の臨海点を高くすることは出来ます。肉体の鍛練をすればいくらでも人間の肉体の我慢の臨海点を高くすることは可能です。そういった人間は肉体的には怠惰でない人間だと言えるでしょう。
しかし精神的に怠惰でない人間になろうとすれば肉体よりも何十倍もの努力が必要となります。
あなたが相当きつい仕事をしているとしましょう。肉体的のみならず、精神的にもきつい仕事だとしましょう。
だがそれをあなたはやりこなしたとしても、あなたは肉体的には怠惰ではなかったと証明出来ただけで、精神的に怠惰でなかったという証明にはならないのです。
それよりも、あなたが日曜日で仕事の休みの日にいつもなら仕事で毎朝7時に起きていたとしましょう。日曜日は、仕事は休みだから朝7時に起きる必要性はない。
この必要性(実際には必然性という言葉の方がより適切ですが)がない中で、あなたは朝7時に起きると決心して起きる。ただ起きるだけではなく、何かをするために起きるのですが、それは日常生活をおくる上で何の影響もない事柄のために起きる。
その事柄をしようが しなかろうが日常生活には何ら支障はない。
その事柄のために、起きなくてもよい日曜日の朝7時に起きる。
これが出来る人間を精神的にも怠惰でないと言えるのです。
もっと正確に言えば、これが出来るから人間と言えるのです。
出来なければ人類というだけのことです。ある意味では楽な生き方です、動物と同じなのですから。
しかし動物は精神的には完全に眠っているのです。醒めている必要がないのです。
なぜなら、醒めていると自然と遊離していってしまうから返って全体からしてみれば困る訳で、精神が眠った状態で決まったルール通りにロボットのように動いていてくれればいいのです。
それを調和と言っているのです。
自然・宇宙が調和を望むのはそういった理由からで、人類から人間に変貌し、そして終わりのない成長を続けるためには、宇宙と摩擦を起こし下手すればその熱で燃え尽きて消えてしまう危険を覚悟して生きるのが人間であり、人間の価値なのです。
今までの人間社会が教えてきたことは、みんな眠りから醒めないようにする方法ばかりでした。宗教も結局はそうでした。
宇宙・自然と軋轢を敢えてつくることによって、自分の精神を熱し溶けてしまうまで摩擦を起こす。
その時初めて精神が宇宙意識と融合出来るのです。
その第1ステップが地球の「想い」であるわたしと融合することです。
そして次に太陽の「想い」と、次に月の「想い」と、火星、金星、木星、水星、土星の順に融合していくのが人間の辿るべきプロセスなのです。
一週間単位がいかに大事か、ここにも七の法則が働いている。
ここまで努力できる人間を精神的に怠惰でない人間と言い、その努力を超努力と呼びます。
超努力をしなければならない宿命を背負わされているのが人間だということを忘れないで欲しいと思います。
この超努力が出来るようになるためには、少なくとも人間の一生の半分はこのことに集中しておらなければ無理です。
ここが、極めて困難な理由です。
人間は一生の三分の一は肉体的に眠っているのです。そうすると残された三分の二の内、六分の一しか生きていくためのことに費することが出来ない。
ところが大体の人間は生きていく手段に人生の大半を費しているのが実体です。
あなたは、毎日仕事にどれぐらい時間を割いていますか。六分の一なら4時間ですよ。
そして睡眠は8時間。残りは摩擦熱を起こす精神の鍛練。
わたしの言いたいことは、人間であるということは出来るだけ睡眠を減らし(出来れば睡眠は一生取らないのが一番いい)肉体的怠惰と精神的怠惰から脱出する有機生命体のことを言うのです。
現にわたしたち「想い」には睡眠は一切ありません。もしそんなことをしたら地球はすぐに死んでしまいます。
人間の心臓がちょっとでも眠ってしまったら、もうお終いです。
人間が息をするのを止めたら、すぐにお終いです。
人間の肉体が小宇宙であると言われるのも24時間休みなしに動いているからで、人間も本来眠ってはいけないのです。
人間の本質とはそういうものだと認識して頂きたいと思います。