第十二章 想いと思考

この章では、わたしたち宇宙の「想い」についてもう少し詳しく説明しておきましょう。
宇宙には絶対から全体宇宙、星雲、太陽系恒星、太陽系惑星群、地球そして月という七段階で構成されていて、それぞれの意識を「想い」と言うと説明しました。
そしてそのそれぞれの物体つまり絶対とか星雲とか恒星とかいった星の集団もしくはひとつの星は、遍在するエネルギーのある変位した形態であり、その変位し続ける動き、すなわち連動が「想い」だとこれまで言ってきました。
意識とは、連続した動きが「想い」というあたかも人間の思考という連続した考え(偶然的思いつき)つまり、常に想い続けている連想と同じようなもののように扱ってきました。
しかし、これはあくまで人間であるみなさんにとって分かりやすくするための方便であって、エネルギーがある場所から別の場所に移動する動き・変化が「想い」の実体であるのです。
従って、人間が考えているような想いといったものではなくて、ある条件下での決められた法則に則った運動がわたしたちの「想い」なのです。
ある条件というのが、わたしの場合には地球という、これまたエネルギーの変位した状況を指しているのです。
人間も同じで、それぞれの人間がエネルギーの変位した状況である肉体という形態でのエネルギーの連動が、その人間の「想い」であり心・エゴとなっているのです。
結局、すべてがエネルギーのある場所から別の場所への移動という動きが、意識や想いや思考や心という(物体と違って目に見えない)形態で顕われているのです。
ただわたしたちの「想い」には肉体を意識するレベルになると、つまり太陽系恒星レベルから月レベルまでは人間も含めて、二元論が法則のベースになります。
星雲以上は一元論が法則のベースですのでプラスとマイナスとがコインの裏表一体となっているのが、二元論ではプラスとマイナスが相対峠することになるのです。
だから良い悪い・嬉しい悲しい・幸福不幸・・・・といった感覚が生まれたのです。
わたしにもこの感覚があります。これが感情というものなのです。
だから人間だけではなく、月にも地球にも他の惑星にも太陽や太陽と同じような恒星には感情があるように見えるのです。
そのことを忘れないで欲しいのです。
そうするとわたしたちの「想い」も人間の「思考」も根源は同じであって、それぞれの置かれている状況が違うために形態も違ってくるだけなのです。
わたしも、人間もこのことを真に理解していないから悩んだり、苦しんだり、不安に思ったりするわけで結局は法則通りに成るべくして成っているだけのことです。
何も思わぬことが起きているわけではないのです。
一寸先は闇、という諺がありますが、一寸先は光明、もしょっちゅうあるのです。
そう思うと、「想い」を持って生きるということは千変万化の実に楽しいことだとは思いませんか。
どんなエキサイティングなことが待ち受けているかも知れない、わくわくしてきませんか。
その中には嫌なこともあるでしょう、しかし必ずそういった後にはたまらなくなるほど楽しいことが待ちうけているのです。
地球の神と思われているわたしですが、いつもこういった気持ちで喜び・悲しみの繰り返しを楽しんでいきたいと思っています。