第十七章 立派な人間の養成

第九章で立派な人間と偉い人間の違いを、お話しました。
今地球上に住んでいる60億あまりの人間社会では 文明が進んだ国ほど偉い人間が重宝されているようです。
智恵のある者は 智恵を出せ
智恵のない者は 汗を出せ
両方ない者は 速やかに立ち去れ
という昔からの教えがあります。
これは 精神的に怠惰な人間は 肉体に鞭打ってでも 肉体だけは怠惰になるな
大事なのは 精神が怠惰でないことを教えているのです。
精神も肉体も怠惰であることは、人間放棄をしていると言っていいでしょう。
今 ほとんどの人間社会で重宝されているのは肉体が怠惰でない人間のようです。
だから "えらいしんどいこと"をしているのです。
もちろん、人間放棄している類は論外であります。
ただ、どうして現代社会が頽廃しているのか、特に文明の進んだ社会ほどそうなのか。
やはり精神が怠惰であれば、いくら肉体が怠惰でなくても問題が出てくるからだと思います。
車で喩えれば、肉体は車で、精神がドライバーという関係で、いくら一流の車であってもドライバーが二流であれば 二流の走行しか出来ないわけです。
最高級の車でも二流のドライバーが運転すれば事故を起こして車を壊してしまう。
二流の車でも一流のドライバーが運転すれば安全かつスムースに運転して車の寿命も長く保てる。
だから 精神が怠惰でない人間が本来人間社会で大切にされなければならない。
それなのに、車さえ立派であればドライバーも立派だと勘違いされているのが現実ではないでしょうか。
だから 偉い人間なのです。
立派な人間は一流のドライバーなのです。
たとえ三流の車を乗っていても、車が走行している道路では一流のドライバーが運転していれば交通違反もないし、事故や故障による交通渋滞もないわけです。
他人の迷惑も考えずに無茶苦茶走っている車が特に日本の関西の方面に多いと聞いていますが、いくら ベンツを乗っていてもそのドライバーなどは三流どころか、百流以下の虫にも劣る生き物でしょう。
偉い人間の中には、こういった類のものもたくさんいるようです。
表面的に偉いのと、陰で偉いのと両方いるようです。それがコインの裏表になって共存しているのが現代人間社会で、特にこの日本に多いのは何故でしょうか。
それは前章で、お話した調子に乗って原爆を落とした国が日本にかけた罠が半世紀経過して効果を出してきたからでしょう。
すなわち、過去50年の、この日本の教育制度が偉い人間をたくさんつくって、立派な人間を抹殺していった結果だと思います。
地球のへそにあたる大事な日本がこの有り様だと、遅かれ早かれ世界にこの風潮が蔓延していくことは必定です。
もう待ったなし、の状況です。
過去50年の教育制度をすべて廃棄して、立派な人間、すなわち精神が怠惰でない人間を養成するよう改革しなければなりません。
そのためには、まず偉い人間を一流の車に乗せないことです。今まで偉いという二流、三流のドライバーに最高級のベンツを運転させていたから、こんなひどい交通渋滞になったのです。彼等にはカローラかミラージュあたりで充分なのです。
偉い人間は、すぐ調子に乗るからへたにベンツなど与えようものなら大事故を起こす。
中には、若い坊主がフェラーリとかいうすごい車に乗ってええ気な顔して運転しておるのを見ているとヘドが出てくる、彼等はチャリンコで充分です。カローラやチャリンコを乗せておけば、ええ格好出来ないから、調子乗りが、ええ格好出来ないと、くしゅんとしておとなしくしておる。
結論は、偉い人間に力を与えないような社会にすることが大事だということです。
立派な人間は、ベンツなど欲しがりません。チャリンコでも充分きっちりとした世の中のためになる仕事をやりのけます。
調子乗りのええ格好しいの偉い人間。これがテンシのこれからのターゲットです。
わたしは、その間に立派な人間の教育に力をいれていきたいと思っています。