|
第十八章 一病息災・一難息災 立派な人間は いつも何か問題を抱えて楽しく生きています。 その問題も自分で長い期間かけてつくり上げた問題だから、その問題の原点を知っています。 敢えて問題を自分でつくって、それを継続しているのです。 これは、わたしも立派な人間から学ぶべき教えだと感心しています。 この二元論の世界では、必ず裏表がある。 病気があるから健康がある。 苦労があるから楽がある。 この法則から逃れることは出来ません。 もしも、あなたが病気を経験したことがないとしましょう。そうしたらあなたは健康とはどんなものか分かりますか。あなたはずっと健康なのです、病気をしたことがないのだから健康なのです、ずっと。 だがその状態をあなたは良い状態だと思えますか。退屈しませんか。ずっと健康だったら健康という言葉は必要ないし、たとえその状態が健康という言葉で表現しても、その言葉は良い言葉ではなくなり、まったく無意味な退屈な状態を意味する言葉になるとは思いませんか。 病気をして苦しみ、そして治ってその苦しみから解放されたときに、あなたは健康の良さを味わうことが出来るのです。病気あっての健康です。 それを、人間は科学や医学の力で病気を根絶しようと思って必死になっている。 これは愚かな偉い人間のやることです。 立派な人間なら病気を根絶しようなんて考えません。病気と仲良くすることを考えます。 病気があるから健康がある。これは法則です。 だから人間が病気を一つ克服させると、法則は必ずもっと克服困難なやっかいな病気をつくります。そうしないと力のバランスの法則から逸脱するのです。 昔は、結核になれば不治の病と言われていました。今でいう癌のように思われていた。 しかし、ペニシリンという薬が科学の力でできて今では大した病気でなくなった。 その頃には癌という病気や糖尿病といった病気はなかった。 人間が結核を克服したから、癌や糖尿病が出てきた。 他にもいろいろな難病や伝染病を克服するために抗生物質という薬が出来てきたら、今度はエイズという抗生物質の特性を逆手に取った病気が出てきた。 犬の尻尾の追いかけっこをやっているのです、人間は。 このままだと、もっと厄介な病気がどんどん出てきます。 文明の遅れた国では、科学の力で病気を治していません。自然の力で治しています。 そういった国では、病気の種類も少ないし、難病もない。 それは病気と闘っていないからです。病気になるのが当たり前だと思っているし、病気になれば病気と仲良くして、時間が経つのを待っています。 病気を治す一番の方法は時間の経過を待つことです。 一般には自然の治癒力に任せることを言います。 しかしこの程度の認識では不十分です。 病気とは時空の世界で、ある空間の状態が変化するまでの時間の経過を待つこと、我慢することを教えてくれている大切な教科書なのです。 病気になった患者のことを英語でPatientと言います。 Patient は patienceつまり我慢なのです。時間を待つことなのです。 だから病気になれば、時間の経つのを待つことが一番の方法です。待つためには楽しむことが一番時間が経つのが早く感じる。だから病気と仲良くすることが一番早く治すことになるのです。 仲良くするには、そんなに多くのものと出来ないですよね。 仲良しの友達が何百人もいたら気が狂ってしまうでしょう。朝から晩まで気の使いっぱなしで寝ることも出来なくなる。 仲良しの友達は一人が一番いい。一人もいないとこれも困る、仲良しの意味が分からなくなるから。 一病息災が一番健康な状態と言っていいでしょう。ひとつの仲良しの病気があると、お互いに良く知っているから、大体どんなことになるか予測出来る。つまり我慢する、待つ時間が予測出来る。そうすると、その後にやってくる健康の喜びが待っていると、うきうきしてくる。 苦労も同じで一難息災が一番いい。 そのためには、自分から苦労をつくるのが、苦労と仲良しになり易い。 この法則を理解していないと、これからますます科学を発達させていくであろう人間社会を生き抜くことは出来ません。 やはり立派な人間の時代に入ったと言わざるを得ません。 |