第十九章 テンシの雲

日本には約300年前の元禄時代という頃に大石内蔵助という立派な人間がおりました。
彼の遺した歌にこういうのがあります。

あら楽し
想いは晴るる
身は捨つる
浮世の月に
かかる雲なし

この人間は主の仇を討つ訳ですが、実際には主の仇を討つのも勿論大事ではあったでしょうが、それよりもその時代の支配者の為政に反骨しようとした方がもっと大事なことだったのではないでしょうか。
それがこの歌に表われているように思えて、わたしはこの歌が大好きです。
特に「想い」は晴るる、身は捨つる がいいですね。
まさに「想い」と、身すなわち「肉体」との二律背反を楽しんでいる、しかもその中でテンシの肉体である月に、それで文句はなかろう。と言っているように思うのです。
テンシもこの人間のことを話してやると感心していました。
自分の肉体である月に、「想い」であるテンシを迷わせる雲は無いと歌っているのはテンシにとって一番望む姿なのです。
テンシは多分この人間は今、月人間となって来るべき絶対宇宙への回帰という大事な仕事をしているはずだと言っていました。
この時代に立派な人間とは逆に偉いしんどい人間もたくさんいました。
やはり、ここにも法則が働いているようです。
偉いしんどい人間が多くいると、バランスを取るために立派な人間も多く出てくるようです。
ちょうど、10年ぐらい前までの日本が、この元禄時代に酷似している。
いわゆるバブルで調子に乗っていた人間がたくさんいた頃です。
こういった時代には必ず特徴があります。
低劣な為政者が多く出てきて力を持つことです。そしてその為政者の犠牲になる立派な人間が苦労する時代です。
大石内蔵助や、徳川光圀などが立派な人間で、徳川綱吉や柳沢吉保などが偉い人間に当たるでしょう。
歴史で大きな功績を残しておきながら、不当な評価を受けて極悪人にされている人間はたくさんいますが、こういった人間は必ず時空を超えて復活してきます。
それが回帰の法則です。
いくら、力ずくで意図的に歴史事実を曲げようとしても、必ず時空を越えた四次元以上の世界では、回帰の法則が働いて事実が明らかにされます。時間のギャップなど四次元の時空の世界では瞬間でしかありません。
そういう点で徳川綱吉や柳沢吉保は300年経っても評価はその時代から何ら変っていない。やはり本当に偉いだけのしんどい人間だったと思います。
いっぽうその後100年ぐらいの間に極悪人として歴史に残された田沼意次という人間がいました。彼などは、今は評価されてきた。やはり回帰の法則が働いたからでしょう。
そのとき物を言うのは、この歌の境地なのです。
この境地にいる人間ならばテンシの「想い」にも雲はかからないから、テンシは機嫌がいいはずです。
大事なことは
想いは晴るる 身は捨つる
の境地です。
身を捨ててこそ 浮かぶ瀬あれ
という諺と同じ意味でしょう。
立派な人間は、自分を捨てる時と場所を心得ています。
偉いしんどい人間は、自分を救う時と場所ばかり探しています。
現代に戻ってみると、偉い人間が自分を保身することにやっきになっています。
そして、それを助けている三助みたいなのがまわりにいっぱいへばりついておる。
わたしは、テンシと一緒に、これから3年間ぐらいで偉いしんどい人間にレッテルを貼って、誰にも分かるようにする方法を考えていきたいと思っています。
立派な人間は必ず回帰の法則に基づいて、輩出してくるから心配はしていません。
ただその邪魔をする、偉いしんどい人間だけには決着をつけておかなければならないと思っています。