第三十一章 ×印の人間

現代において、×印の典型的な人間とは、一体どんな人間なのかを考えてみたいと思います。
唯物的といっても、二千年前と現代では物質文明も大きく違っています。
現代における唯物的発想は、単に物の豊かさを求めるものではなくなっています。
根底に流れているのは、生き残るための食べ物の確保ではなく、自分の生命の永続性を求める子孫繁殖の欲望ではないかと思うのです。
それは、本来、5000才を生きられる人間が、たかだか100才生きるのも難しい地球環境下では、生命の永続性を保持するためには、何度かの肉体交換が必要になってくる。それを生理学上、生物学上では子孫繁殖の欲望になるわけです。
人間にとって、最大の×印の要因は、実は過大なる自己保存の欲望なのです。
一般的には逆のように思われるでしょうが、愛の営みであるセックスが煩悩の原点であるように思っている人間が多いようです。
特に宗教者は、禁欲主義をモットーとして、愛欲を避けようとしました。
しかし、それは大きな間違いであったのです。
本当の間違いは子孫繁殖の本能欲なのです。
その理由は申しあげました。すなわち本来5000才まで生きることが出来る人間が、外部要因で、せいぜい肉体は80年ぐらいが限界になってしまっている。
その中で5000才まで生きようとすると、何十回も肉体を交換しなければならない。
これが子孫繁殖の本能欲なのです。
これは、本来間違った考え方なのです。
それよりも精神性の向上を常に図っていれば、ひとつの肉体で5000年は保てるのです。
そうすると、そこに個人差が出来て、結局繁殖能力の強い弱いが結果として出てくる。
当然、繁殖能力の高い人間は、何事につけても人間の間では重用される。
それを、求めてお互い戦うことになるのです。
ねずみや猿の世界と何らやっていることは変らないのです。
猿山の新しいボス猿は前のボス猿の子供をぜんぶ噛み殺すといいます。そして殺された子猿の母猿は進んで、新しいボス猿の求愛を求める。これなどは、まさに自己保存本能欲であります。その欲のためには、自分が生んだ子猿のことなどを悲しむ心という精神性など、実に当てにならないことが如実にあらわれています。
考えてみれば、人間の歴史も同じであります。
だから、勘違いしてはいけません。
動物がそうだからといって、人間も子孫繁殖の性行為は許されるが、愛欲の性行為は、許されないという、今までの宗教の教えがすべてを狂わせてしまったのです。
最大の問題は子孫繁殖欲なのです。その結果が60数億の人口が物語っています。
こんなに多くの数を誇る動物が他にいたでしょうか。
人間の最大の自然に対する造反は、この過剰な繁殖なのです。
これでは、自然のバランスが完全に狂う。
今の地球は、60数億の人間がいるだけで、その生態がおかしくなってしまっている。
いずれ、その限界点が来ると思います。
100億の人口になったら、もう限界です。
多分地球上の他の動物はすべて絶滅しているでしょう。
そして結局、人間も絶滅してしまう。
これを、防ぐには、もういい加減人間の繁殖力を削ぎ落とさなければなりません。
ねずみ講なんて、えらそうなことは言えません。
人間講と他の動物から、言われてしまいます。
いいですか、人間の×印の一番大きな要因は自己の子孫保存欲であることを。
肉親での骨肉の争いの原因は、ほとんど、この自己の子孫保存欲からきているのです。
そのためには、肉体の子孫より、精神の子孫にそろそろ目を向けてもいい時期だろうと思います。