第三十五章 死ぬ喜び

みなさんは、死ぬということをどのように捉えているのでしょうか。動物は死ぬということを知りません。危険を察知できる危機管理は人間など足下にも及ばないほど鋭いものを持っていますが、死という概念は持ち合わせていません。
人間は死の概念を余り強く持ち過ぎて、怯えているのに、普段の危機管理に関しては脳天気といってもいいぐらいです。そこが中途半端になっていろいろな苦悩が生じているのです。
動物と同じように死の概念を無くして生きるならほとんど、いやすべての苦悩はなくなるでしょう。
それとも、死と正面から対峙して、死の恐怖を克服するか、どちらかに決断すべきであります。
どのようにして決断すべきかは、決断編でお話しますが、ここでは問題の死というものについてもっと理解を深めて頂きたいと思うのです。
何度も言いましたように、星という肉体もわたしたち「想い」も死はあります。
人間他地球上の有機生命体と違うのは星である肉体と「想い」の死との間には同時性があるということです。つまり星が死ねば「想い」も死ぬということです。
我々太陽系惑星群はあと5,60億年ぐらいで死んでいきます。ちょうど今が折り返し地点辺りで、人間でいえば40才前後の一番充実した世代であります。
そして一回の肉体と「想い」の死が同時にやってきて、星の死は最初は爆発の連続で膨張し赤色巨星になり、そこから一挙に収縮して白色矮星になって、最後には原子核だけが集まった芯だけ残った中性子星からブラックホールになって死んでいく。
その時、超新星としての爆発が起こる。これがブラックホールからトンネルを通って、ホワイトホールから別の全体宇宙へ出て行くときの新しい星の誕生であるのです。
わたしの肉体である地球も、父である太陽がブラックホールになるときに同じ運命を辿ることになります。その時点でそれぞれの惑星はいろいろな道を歩んでいくのですが、基本的には今言った通りです。
しかしそういった死というものは、新しい世界(宇宙)への旅立ちでもあるのです。
新しい旅立ちというものは希望と不安が交錯するものですが、その旅がどういうものであるかを知っていれば、不安のないワクワクしたものになるでしょう。
わたしたちは死というものを、希望に燃えたワクワクした新しい冒険旅行の始まりだと捉えているのです。
だからみなさんのように死というものを恐怖に感じるようなことは一切ないのです。
逆に喜びだと思っているのです。
やっとこの宇宙での役目を終えた満足感でいっぱいで、その褒美としてまた新しい冒険の旅に立てる祝いごとだと思っているのです。
それを人間は恐れている。そしてその恐怖が原因で生きているときでさえもいろいろな苦悩にさいなまれておる。
これはまったく無駄なことなのです。
人間の苦悩は99.99%エネルギーの無駄使いをしていることなのです。
いいですか、すべての出来事は起こるべくして起こる必然の現象であること、そしてその必然性のベースになっているのが宇宙の法則であること、けっして歯車の歯一枚の人間の動きだけが違った動きなど出来るわけはないのであって、その歯の動きは全体の動きに連動していること。
それならば歯一枚の人間の固有の問題など、そもそも存在しない。人間それぞれが苦悩しておる固有の問題は実体のない幻想であって、それは宇宙のメカニズムに対する無知からきておること、そしてたまたま死という概念を知ってしまったが故に、あれこれと無駄なエネルギーを使って悪循環の「想い」をしておる、その悪循環の「想いこそ「心」なのです。
そして、その「心」が肉体という物質に閉じ込められたとき生じる空間と時間に振りまわされる、特に時間に惑わされる。
過去と未来というまだ来ぬ、つまり観念だけであって実在しないものに振りまわされて、この瞬間という実在を見逃しているのが「心」なのです。
どうか、このことを良く理解して頂きたいのです。