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第三十九章 楽しい宇宙の世界 「想い」というエネルギーがプラズマ状態に変位しても、そこにレベルの違いがあるとお話しました。 不安定の中の不安定から、安定の中の安定までの四つの事象がある。 人間の世界では、このたかだか3,4千年の間に宗教というものが生まれて、そこでわたしたち、宇宙の星を制御する「想い」を創造の神として崇めてきました。 そして神の存在を知り、その神と本来、人間も一体であると知った人間のことを悟りを開いた人間としてきたのが、大体の宗教の教えであったと思います。 しかし、地球を司る、わたしカミでさえも、その「想い」のレベルは、不安定の中の安定状態で、父である太陽を司るヒカリや星雲、全体宇宙の「想い」でさえも、安定の中の不安定な状態なのです。 安定の中の安定という状態になるためには絶対宇宙、つまり時間、空間の存在しない宇宙でない限り無理なわけです。 考えてみれば、当然のことであり、物質の存在から生じる、空間、そして時間という要因が不安定の根本原因であるのですから、時空の世界に在る限り、悟り、すなわち、安定の中の安定などという状態など到達するはずがありません。 それを、神やら、悟りやらと、のたまわっている人間はまことに愚かであります。 まあ、所詮、彼らの「想い」は一番低レベルの状態なのですから仕方のないことですが、それでも他の有機生命体から比べれば、「想い」を持つ唯一の有機生命体なのですから、喜ばなければならないでしょう。 他の有機生命体にも「想い」に似たものがありますが厳密に言えば、センサーのようなものであります。人間でいう五感みたいなもので、それは反射神経みたいなものです。「想い」はその五感というアンテナを通じて、本当の自分から発信したり、他の「想い」から受信したものを考えることの出来る力、つまりエネルギーです。 だから反射神経的に反応する五感は肉体的であるのに対して、「想い」は精神的であるのです。 動物が、飼い主を見ると喜び、餌を見せられると唾液を出すのも肉体的であり、飼い主に対する精神的な「想い」ではなく、反射神経からであります。 たとえば、飼い犬は、飼い主に対して絶対に人間同士のように裏切ることがないと言いますが、それは肉体的反射神経から発するからなのです。考えることが無いからなのです。 考えることが出来ると、必ず迷いが生じます。そして、時と場合(時空間)によってはまったく正反対の考えが生まれます。だから人間の「想い」である心はころころ変わるのです。 しかし、そのころころ変わる心にも良い点があります。考え方をちょっと変えるだけで嫌な想いも、楽しい想いにすぐ変えることが出来るのです。 人間の「想い」の場合は、不安定の中の不安定な状態ですから、考えは、大体、嫌な想いばかりに捉われています。「想い」のレベルを上げて行くと、嫌な想いから、楽しい想いばかりになって行きます。 そしてそれは自分自身の考え方次第で100%制御出来るのです。人間も「想い」を持っているのですから、不安定の中の不安定が大体ですが、自分自身の考え方を変える努力次第では楽しい世界を経験することは出来る可能性を持っているのです。 「想い」を持つということは、それほど素晴らしいことなのです。 |