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第六章 宗教と哲学 哲学というと何か堅苦しいイメージがあって、あまり深入りすると頭がおかしくなると思っている方が多いと思います。 しかし、哲学というのは本来、学問のことを意味するものであるのです。 昔のギリシャ哲学というのは、天文学も数学も宗教も歴史もすべて哲学という学問を指したのです。それが現代では形而上学的な部分、つまり形として表わせない、目に見えないところを思索する学問として特化してしまったところから誤解され出したと思うのです。 この宇宙には形而上学的も形而下学的も何もないのです。あるのは客観性だけなのです。 昔のギリシャ哲学では宇宙の絶対的客観性を知ることが学問であり哲学であったのです。 宇宙の絶対的客観性を知るためにいろいろな手法が考え出され、人間の体が小宇宙と解ったことから人間の体を研究する学問すなわち哲学が、医学、生理学、精神医学、心理学と特化していったわけで、また宇宙のメカニズムを知ることが小宇宙である人間の精神面を知ることにつながることから天文学、物理学、化学、数学と特化していったのです。 結局人間にとって絶対宇宙との相対性、相似性を知ることが学問であり、哲学であったのです。 みなさんは学校で数学を学ばれたと思いますが、その中で代数はたしかに生活する上で役に立つことはお分かりだと思います。計算する学問ですから当然日常生活では欠かせない手法でしょう。物を買うときも計算の方法を知らなかったら困るでしょう。 しかし、それを当然のように思っていることが大きな勘違いなのです。 太古の時代の人類や原人の時代では数を数える必要性はなかったのです。 犬を見ていて彼らは数を数えることが出来ると思いますか、思わないでしょう。それでも彼らは生きているのです。 人類が進化して文明が起こり、衣食住のスタイルが繁雑化するに従って数の概念が生まれ、そこから数を数える必要性が出てきたのです。そして代数という学問が生まれたのです。そうすると代数という学問も、人間が生きていく上での方法論であって生活に密着している訳です。それなら代数という数学も哲学と言えるわけです。 同じように、もうちょっと観念的になりますが、三角関数という数学があります。 いわゆる、波形の数学です。いろいろな波の形を数字で表現しようとした学問です。 この学問が一体人間が生きていく上でなんの関連性があるのかと思われるでしょう。 たしかに日常活動する上でほとんど使い道のない学問のように思われます。 しかし、この学問には大きな真理が隠されているのです。 ニュートンという学者が発見した三大法則の中にエネルギー保存の法則というのがあります。この法則は物質だけに当てはまる法則ではありません。我々宇宙の「想い」や人間の心やエゴにも当てはまる法則なのです。というよりは「想い」や心・エゴといったものも実はエネルギーという物質だ、ということがその後の量子力学という学問で解ったことなのですが、要するに「想い」や心・エゴが幸福だと感じる肯定的・プラスの量と、不幸だと感じる否定的・マイナスの量は差し引きゼロだという真理を、この三角関数という学問は数学的に教えているのです。 大きな山の後には必ずそれと同じ大きさでまったく同じ波形のひっくり返った谷があることを示唆しているのです。 いや、自分は、大きな山は欲しいが、大きな谷は要らないということはあり得ないのです。 平たく言えば、大きな成功という幸福感を求めるなら、必ずそれと同じ大きさの失敗という不幸感も経験するということを教えているのです。 これは今流の哲学でも素晴らしい教えだとは思いませんか。 いや、わたしは、大きな幸福はもちろん欲しいが、大きな不幸は嫌だから、出来るだけ小さな不幸で抑えたい、だから小さな幸福で我慢するしかない。これが真理なのです。 ところが、まわりの人間を見てください。大半の人間が、大きな幸福を求め、できるだけ小さな不幸、できればまったく不幸のない人生を送りたいと不可能なことを思っているのです。そのことが悲劇の最大原因だということに気づいていないのです。 そして、その上に輪をかけてまずいのは、その不可能なことを可能に出来るかの如く教える訳の分からない教え(これは学問とはとうてい言えない)が蔓延している。つまり宗教なのです。 人間を正しい道に歩ませるための大切な認識は哲学というものをもっと良く、深く理解させることが、宗教にたいする錯覚からの目覚めとともに大事なことであるのです。 |