第九章 立派な人間と偉い人間

人間の存在理由を前章では お話しました。
絶対宇宙も極論すれば一部だとも言えます。だから我々の全宇宙も星雲も太陽も惑星も衛星もそして人間も一部分でしかない。
しかし それぞれ違った機能を持っている。それはレベルの問題ではありません、ただ違った機能だと言うだけです。
車があったとしましょう。車にとってエンジンは一番大切な部分でしょうが、タイヤが一本なかったらエンジンが問題なくても車は走れません。それでもエンジンはタイヤよりレベルが上だと言えるでしょうか。
それなら人間の世界でも同じことが言えるはずです。
レベルの違いは一切ない。
一国の支配者であろうが、人に物乞いをする人間でも、生ある限りそれぞれの機能を持っていて、その機能にレベルの差はないのが基本です。
ただ人間の機能にも二種類のものがある。
それは分かり易く言えば、肉体面と精神面という二種類の機能があります。
精神面と言っても、肉体そのものの上にあるアストラル体とかメンタル体とかいったものを精神面と言っているだけで、広義では肉体といってもいいでしょう。
狭義の肉体を肉体、広義の肉体を精神と言っても構いません。
この世的成功を収めた人間を「偉い人間」と言われています。なぜ「えらい」のか。
それは人間の本能欲を満たすために「えらいしんどいことをした人間」だから「偉い人間」なのです。
決して他の人間から尊敬されたり、他の人間に喜びを与えた人間ではありません。自分の欲望を満足させることが多く出来た人間のことを「偉い人間」というのです。
欲望を満足させることは、しんどいことなのです。それはエネルギーの放出をすることなのです。欲望とは快感を味わうことです。他人を自分の言う通りに従わせることは快感です。性欲を満足させることは快感です。
これら欲望の原点は快感にたいする渇望なのです。しかしこの快感には大きな代償がつきます。それはエネルギーの放出です。エネルギーの浪費と言った方が適切でしょう。エネルギーの逆流と言った方がもっと適切かも知れません。人間から地球へのエネルギーの逆流です。
前章でお話しましたように、地球は月へのエネルギー供給を、人間を通じてやっています。だから地球から人間に一方的にエネルギーが流れるのが自然です。
ところが地球の重力に負けてエネルギーを地球に戻してしまうと、自然に逆らうことになるからえらく疲れる。その替わりに解放感という快感を感じる。
だから「偉い人間」は本当に「えらくしんどいことをする人間」なのです。
いっぽう「立派な人間」というのはエネルギーを放出しないで蓄積する人間のことを言います。狭義の肉体からエネルギーを地球上に放出しないと、体内に蓄積されていって広義の肉体であるアストラル体やメンタル体へとエネルギーが上昇して行きます。
エネルギーの放出はエネルギーが下降して行きます。
この上昇したエネルギーが月へ供給される熱変換されたエネルギーなのです。
正統派のエネルギーの上昇する流れです。
こういったことをしている人間を「立派な人間」というのです。
ではエネルギーを放出しないで蓄積している人間とはどんな人間なのでしょうか。
60億以上いる人間世界の中でも自分独りの世界を持っている人間は決してエネルギーを外には放出しません。彼らには外の世界は存在しないのです。自分の内なる世界しかないのだから、外へ放出しようがありません。
こういった人間は外見上まったく普通の人間で、この世的成功などには見向きもしません。エネルギーのロスだということ、そしてそのロスはエネルギー本来の正統派の流れではないことを知っているのです。結局最後は何も得られず空しく疲れ果てていくだけだということを知っている人間です。
この世的成功を収めた人間が死に直面したときの顔を一度観察してください。
必ず 「偉い疲れた顔」をしています。そういう人間を「偉い人間」と言うのです。
「立派な人間」の死に顔はエネルギーに充満しています。
人間社会における人間の価値基準も、もうそろそろ「偉い人間」から「立派な人間」にシフトしなければならない時がやって来たようです。