第十二章 自己制御

とにかく努力すること、と前章で申しあげました。
簡単に出来れば苦労しません。何故難しいのでしょうか。
それは虚像のあなたが、しんどい、苦しい、我慢がいる、嫌なことだと思っていることに振り回されているからです。
あなたの実像はせっかく、努力は良いことだと言っているのに、それに耳を貸さずに、虚像のあなたの言うことに惑わされているのです。
一体、その原因は何でしょう。
肉体という中に閉じ込められたために、肉体をも無数の中の自分の一人と思っており、その肉体が要求する欲望に惑わされているからです。
肉体が要求する欲望は、肉体にとって都合の良いことばかりです。
肉体は、激しく動かすとエネルギーをいっぱいロスするから、いつもゆったりとリラックスしていたい。
肉体の細胞は、痛く感じるより、気持ち良く感じる方が好きだ。
一方、努力は「この山越せば花さかり」のことです。
つまり、この山を越すのは、しんどいし、体も疲れるし、足も痛くなる、肉体にとって嫌なことだけど、ひとたび越せば、花がいっぱい咲いている素晴らしいところに着くことが出来るという希望の為に、今、我慢することなのです。
そうしますと、肉体という無数のあなたの虚像の中の一つと相克する訳です。
そして、努力の出来ない人間は、肉体という虚像の方が、実像のあなたとの相克に勝って、努力を嫌う肉体を選ぶのです。
つまり肉体は、今、ここで、しんどい、苦しい、痛い、我慢が要ることは嫌だと思う「想い」、実像は、今、ここでは、確かに、しんどいし、苦しいし、痛いし、我慢しなければならないことだけど、ここを頑張れば、この山を超えれば、花畑に出会うことが出来るのだという「想い」とが相克、葛藤する。その中で、目先より、ちょっと先に目を向けさせる制御機能が無いと、すぐに肉体の欲望の方に走ってしまう。
その自己制御機能、セルフコントロール出来る力が、努力させる方向に向けさせるのです。
欲望を発する肉体が無ければ、制御機能は必要ではないのですが、わたしのように「想い」がカミである自分だと分かっていれば、問題ないのですが、もしわたしが地球そのものだと思っていたら、地球を傷つけることばかりしている人間なんて、とっくに、わたしが絶滅させているでしょう。地球という肉体にとって嫌なことばかり、人間はしているのですから。だがわたしの肉体は地球だけれど、本当のわたしは「想い」の方だということが分かっているから、何とか人間を改正させたいと思えるよう自己制御出来るのです。
人間も、本当の自分は「想い」であり、肉体ではない、ということを認識したら、わたしと同じように自己制御出来るのです。
肉体の発する欲望に惑わされずに、自己制御出来るようになってもらわないと、将来、人間の「想い」になるわたしにとっても困る訳です。
従って、この点を理解出来ない人間は失格ということになります。