第十三章 意志力

自己制御が出来るということは、本能的欲望に打ち勝つ意志力があることだと言いました。
肉体の本能的欲望にはいろいろなものがあります。
性的欲望、食べる欲望といった肉体が直接要求するものから、財産、お金、物といった物質の欲望、そして、地位、名誉、権力といった物質ではないが、他人との関わりから生じる力に対する欲望などがあります。
しかし、突き詰めてみると、その根元には生きることに対する執着からみんな来ているものです。
生に対する執着には、自己の生をまっとうしようとするものと、自己が消滅しても、その痕跡を残しておきたいという、子孫保存本能の欲望とがあります。
そうしますと、結局、食べる欲望と、性欲に尽きると思います。
他の欲望は、結局、食べる欲望か、性欲を満たす方便にしか過ぎない訳です。
現実に、食べる欲望と、性欲を完全に満足させてやれば、財産、お金、物、地位、名誉、権力に対する欲望は消滅してしまいます。
従って、本能的欲望は食べる欲望と性欲だけに収斂してしまいます。
しかし、生あるものは必ず死がやってきます。
その死がいつ、どんな形でやってくるか分からない故に、死に対する恐怖感が、この食べる欲望や性欲と表裏一体になっているのです。
死は、いつ、こういう形でやって来るということが分かっていれば、食べる欲望も、性に対する欲望も消えてしまいます。
自分の死の形態が分かっているのですから、何で食べることにこだわる必要がありますか。何で性に対する欲望にこだわることがありますか。
ただ、性に対する欲望には、微妙な要因が隠れ潜んでいます。これについては後でお話します。
結局は、死に対する確信の欠如が恐怖感を生み、その恐怖感からの自己防衛が、本能的欲望の一番底に潜んでいるのです。
この恐怖感を取り除かない限り、これらの本能的欲望に打ち勝つことは出来ません。
そうしますと、この恐怖感をどうしたら取り除くことが出来るでしょうか。
分かったら恐怖は起こらない。分からないから、不安で、恐怖が湧いてくる。
不安感なのです。何か悪いことが起こるのではないかと思う不安感がその原因であります。その不安感は、絶対予知不可能なことから来るのです。絶対に予知不可能なことを可能にする方法が実はあるのです。それが意志力なのです。
先のことに対して、こうするのだ、という意志力の発露なのです。
意志とは、自分はこうするのだと宣言することです。
その力が強く発露されれば、されるほど、その言葉が意識から無意識を超えて潜在意識に入りこみ、最後に集合意識にまで入り込むことが出来たら、集合意識は、わたしの曽祖父のイシキと繋がっていて、同じ時空の世界とは言えども、時間の感覚が、地球上とはまったく違うので、地球上の50年や100年はイシキの感覚では1秒にもならないから、すぐに実現してしまうのです。意志力が強ければ、50年後、100年後のことが100%確実に起こるプログラムを、集合意識を通して、イシキに伝わるのです。いったんプログラムに組み込まれたものは100%実現するのです。
100%実現するなら、不安は解消されます。
意志力の驚くべき働きが、お分かり頂けたでしょうか。
ただ最後に言っておきたいことは、人間には本能的欲望以外に、本質的欲望というものがあります。
それは、本能的欲望よりも、もっと深くて、非常に巧妙な欲望なので、ほとんどの人間が気づいていません。
その本質的欲望とは、人間が、神のようになろうとする欲望なのです。この欲望は、本能的欲望など足元にも及ばない巨大なものなのです。
宗教が無数にあり、悟りを求めて、ありとあらゆる努力をするのは、すべてこの欲望が根源であるのです。
先ほど言った、性に対する欲望には、悟りを得ようとする欲望にも関係しているのです。性に対する欲望は、性行為におけるオルガスムスの状態が、悟りの一瞥を与えてくれるのです。その時の快感を超えた、至福の境地の心地良さが忘れられないことが、性に対する欲望には潜んでいるのです。
これは、非常に深く、微妙な欲望だけに、なかなか見抜くことが困難であります。
意志力についてとちょっと話はそれましたが、欲望を理解しておく上で大切なことなので、良く憶えておいて下さい。