第二十一章 神の基準−2

本来、神というような概念はない。これが基本であります。
しかし、生命体は肉体という物質だけで出きている訳でもない。それとは独立した「想い」という概念がある。
「想い」という概念は肉体のような物質ではないから、形態というものがない。
人間からしたら、目に見えない代物であります。
しかし、実際にはスケールの違いだけであって、肉体と同じように「想い」も形態を持っている、すべてはエネルギーの形態の変位したものであると言ってきました。
そうしますと、人間にとっての神の概念は、ほぼ、人間の目からは見えないものであるようです。
見えないが故に、それぞれの人間が勝手に、自分たちの都合のいい姿にしているのです。
ただ、インドで生まれた宗教者だけは、人間の目に見えないものだって、いくらでも存在しているものはたくさんある、大きなものから、小さいものまで、すべてはエネルギーであると主張したのであります。
わたしも、概ね、彼の意見に賛成であります。
人間よりも一段上から見下ろすところに神というものがいるのではないのです。
人間の五感では感知できないところにいて、宇宙の法則に即して動いている機械のような存在が神であって、人間はその機械の一部品である、という関係だと考えて頂ければいいと思います。
そうしますと、部品から見たら、機械はどのように見えるでしょうか。
部品には部品なりの役割があり、しかも意図もあります。しかしその役割は、機械からしたら、一部の役割であるから、部品の意図と、機械の意図とではおのずから違ってくる訳です。
部品は機械の役割、意図が分からないのです。
機械は部品の役割、意図が分かっているのです。
人間以外の生命体は、その部品としての役割を忠実に守り、またその意図から逸脱した想いを持たないのですが、人間だけは、考える能力を持ったものだから、機械の役割や意図と同じものを、自分たちも持とうとするのです。これが人間の最大の問題なのです。
何も機械の方が部品よりレベルが高い訳ではないのです。ただ役割、意図が違うだけです。
これから、人間の神となっていくわたしは機械であって、人間は、その一部品である。
ここを、はっきりしておきたいと思います。