第二十二章 神の基準−3

神が機械であって、人間はその機械の一部品であると、お話しました。
それでは、機械の役割と意図とは、どんなものでしょうか。
機械とは、何でしょうか。
それは何かをつくり出すものではないでしょうか。
物をつくり出す場合もあるでしょう。
機能をつくりだす場合もあるでしょう。
とにかく、何かをつくりだすもの、創造するものが機械なのです。
その物、機能がどんなものであるかによって機械の意図が変わってくるのです。
ひょっとして、その機械が、もっと大きな機械にとっては、一部品の役割と意図にしかならないかも知れません。しかしものを創造する能力は持っている。それが機械です。
神も同じで、その大きさは、いろいろあるけれど、何かを創り出すものであります。
人間は、その機械の一部品ですから、機能はあるけれど、それ自体で何かを創り出す機能はありません。
いや、人間は今まで、いろいろなものを創り出してきたと主張されるでしょう。
しかし、それは間違いです。
人間が創りだしたと思っているものは、機械、つまり神にとっては周知のことで、単なる神の意図の一機能を果たしたに過ぎないのです。
いや、人間はいろいろなものを発明してきたと言われますか。だんだん自信がなくなってきたでしょう。
人間が発明してきたと思っているものは、人間にとっては未知なるもので、ゼロからつくったのだから、創造したのだと思われるでしょうが、神からしたら、そんなことは常識で、その時のタイミングで人間という部品に、その機能を果たさせただけのことなのです。
それを、今まで人間は、やれ科学の発達だ、科学はいずれ自然をも征服するだろう、などと寝ぼけたことを言っておる訳です。
テンシが、人間の知性としては最高級の科学者に、お仕置きをしたのを想い出して下さい。その科学者は、「自分は、何も知らないということだけを、知りました」とテンシに懺悔をさせられたではないでしょうか。
神であるわたしは、何かを創造することが出来る、またそれが、もう一段大きな存在からしたら一役割にしか過ぎない。だけど何かを創造する能力は持っている。それが神です。