第二十四章 神の基準−5

テンシとわたしは、「想い」が通ずる仲であります。そりやあ、自分の子ですから当然でしょう。
しかし、人間の心と通じているかと言えば、今のところ、ノーと言わざるを得ません。
まず、人間という生命体が何故生まれたのか。結果論になりますが、これから100年のうちに起ころうとしている出来事において重要な役割を担っているからだと思います。
地球が生まれ、わたしが生まれ、地球の面倒をみていくなかで、有機生命体が生まれ、結果人間が生まれましたが、これはわたしが意図してやったことではなくて、必然的に起こったことだけであります。
従って、意図してやったことでないだけに、人間のことを、もうひとつ良く理解しておらないのです。
しかし、これからは、そうはいきません。その為に、新しい人間の基準で、お話しましたように人間のまず本質を理解することを心がけた訳です。
それによって、新しい人間像は大体見えてきました。しかし、今、地球上にいる人間は、基準にまったく当てはまらない人間ばかりです。
そこで、新しい人間と、絶滅していく人間との峻別の考えを述べた訳でありますが、とにかく整理される人間が多すぎます。
一挙に整理するなら、嫌な思いも一回で済むのですが、そうはいきません。
そうしますと、最終的には整理されても、中にはましな人間もおる訳です。
整理される人間の中でも選別が必要となってくるのです。
それをするわたしは、新しい人間の神としてではなく、地球の「想い」としてやらなければならないのです。
二役をこなさなければなりません。これも神の基準の一つにいれておかなければなりません。
そこで、ここでは、新しい神としてではなく、地球の「想い」であるカミとして、峻別されていく人間に対する姿勢を、お話したいと思います。
今までは、地球の「想い」として、地球全体を見守ってきましたが、これからは人間だけを対象にしなければなりません。
そうしますと、やはり今までよりも遥かに厳しい目で見てしまいます。
明確な基準を持たずに、ただ厳しい目で人間を見ていますと、ほとんどが失格の人間に見えてしまいます。
これではいけないと思いまして、わたしなりに基準を設けることにしました。
月の切符を手に入れる基準は、人を喜ばす能力があるかどうかだと言いました。
月の切符を手にいれることは難しいが、中には良い面も持ち合わせている人間とは、どんな人間なのか、それを見極める責任がわたしにはあります。
自分に嘘をつかない人間が、それに当てはまると思います。
逆に言えば、ほとんどの人間が他人だけではなく、自分にもしょっちゅう嘘をついておる。しかも無意識に。
他人にも、自分にも嘘をつきながら生きている。これは本来有り得ないことです。
そんな人間がいたら、それは生きているとは言えない。ただ肉体を動かしておるという観点だけで生きておるのです。精神は完全に死んでおるのです。
まず、この点から選別していきたいと思っていますので、もう少しこの点について次章で詳しくお話したいと思います。