第二十七章 神の基準−8

この章では、月への切符を手にいれる15億の人間を如何に発掘し、教育するかという、お話をしてゆきたいと思います。
この難題の大きな要因であろうと思われる、一本筋は通った信念は持っているが、勇気と決断力に欠ける地味なタイプの人間とわたしとの、これからの関わり合いについてから始めてゆきたいと思います。
彼らの最大の長所は、各部では人間だから持っているでしょうが、基本的に自分のことを平凡だと思っていることであります。
この境地になるのは、なかなか難しいのです。
それは、前にもお話しましたが、人間の意識の深い処では、神のようになりたいという、本質的欲望があるのです。
言葉を変えれば、非凡な人間になりたいということであります。
非凡な人間になりたいと思うことが、人間の本質的欲望なのですから、平凡だと思えるようになることは非常に難しいことなのです。
ところが、彼らは、実際に、自分は平凡だと思っているのです。かつて若い頃は夢もあって、非凡さを求めた時期は必ずあったはずであります。しかし、激しい、しかも低劣な人間の競争に負け、夢を捨てた時点で平凡さを受け入れた人たちであります。
ある意味では負け犬であります。しかし、どこで思いも拠らない良いことが起こるか分からないものです。自分を捨てることが出来、平凡を受け入れることが、人間の精神性を高める大きな要素なのです。ただそこでも分岐点はあります。
負け犬根性になってしまう者と、自分を知ることが出来た者との分岐点があります。
自分を知ることが出来た人間は、平凡は受け入れるが、自分を捨てきることが出来ない葛藤に襲われるのです。その葛藤が、心の結晶化を生み、信念が湧きあがってくるのです。
こうなりますと、瓢箪からコマが出たのです。平凡を受け入れた代償として、信念が与えられたのです。
こういったケースは多々あると思います。
この人たちを表舞台とは言わないまでも、くだらない不合格の人間で大半を占めている人間社会に、戻させるのです。
しかし、いったん負け犬になった、自己卑下感と、勇気、決断力の欠落は依然持っております。
それを教育し、奮い立たせるのがわたしの仕事であります。
彼らが15億の月への切符を手にいれる最大数の人間たちであるのです。