|
第七章 新しい人間の基準−1 ここではまず、人間としてどれだけの重い「想い」を持っているかについて、お話したいと思います。 「想い」が重いということは、それだけ多く考えているからです。しかもその「想い」が自分自身のことではなく、他人のこと、極論すれば、人間全体のことを、常に考えている人間の「想い」は必然的に重くなります。 「想い」は、その本質からして、ベクトルは外に向かうものです。 普通は、自分の肉体に向かいます。誰でも自分が大事だという理屈も、ここから来ている訳です。 しかし、ここで大きな誤解をおかしているのです。 自分の肉体も、宇宙全体の機械の一部品なのです。一部品をいくら大事にしても、全体の機械が故障しておれば、その部品も故障しているのと同じことなのです。 また、その部品を構成する、機械の組みたて部品が故障しておれば、結局いずれ機械自体の故障になっていくのです。 車で例えれば、あなたがゴムのタイヤだとしましょう。例えゴムのタイヤがいつも新品のようにピカピカしていて、タイヤの溝もしっかりとあって、タイヤ自体もしっかりしておったとしても、タイヤを構成している車輪まわりの、例えば車軸が曲がっておれば、いくらタイヤが最高でも、車としての機能は果たせないのです。それでもあなたは、ゴムのタイヤばかりに気をかけて大事にしますか? まず曲がった車軸をまっすぐにしなければならないのではないでしょうか。その車軸が、自分にとって気に入らない人種で、宗教であっても、まず車軸を直すことに注力しなければなりません。 この車軸に対する「想い」や、機械全体に対する「想い」が多ければ多いほど、その人間の「想い」は重くなるのです。 大事な人間、世の中の役に立つ人間のことを、重要人物といいます。 平たく言えば、「想い」の重い人間のことを重要な人間と言うのです。 重要とは、要求されることが多くて、肩の荷が重い人のことを言うのです。 従いまして、まず「想い」の重い人間とは重要人物であるということであります。世間一般で重要人物と言われている人間は、大統領であるとか、首相であるとか、大企業の社長であるとか、こういう人たちを重要人物と言っております。 たしかに、こういった地位に就いている人間は重要人物でなければならないはずであります。ところが実際には、そうなってはいないのが現実であります。 例えば、アメリカ合衆国の大統領は重要人物でなければなりません。ところが8年で交代しなければなりません。これでは本当の重要人物にはなれません。大統領という地位が重要であって、大統領になった人物が重要ではないのです。だから辞めた後は、そこそこ大事にはされているでしょうが、お国の一大事のとき、意見すら言えない。言えるのは、その時の大統領とその側近だけです。これで果たしてアメリカの大統領が重要人物だと言えるでしょうか。 日本の場合は、話しにならないほどひどい状態です。重要人物でなければならない首相がしょっちゅう替わっている。これでは、国民は首相を重要人物として尊敬など出来るはずもありません。 問題は、その地位ではなくて、その地位に就くだけの価値がある人物がなっているかどうかであります。 今では、国民の選挙とか、議員の選挙で選んでおる訳ですが、その前に重要人物たる人材かを、まず計る必要があると思います。 重要人物であることを計る重しが必要であります。 大きな重い重しからちいさな重しまで何種類かあります。 一番大きくて重い重しは、勇気であります。勇気なくして自由はなく、自由なくして真理は見えないのであります。 次に重い重しは努力に対する持久力・忍耐力であると思います。 次に重い重しは、使命感・正義感だろうと思います。 次は決断力でありましょう。決断力の本質はスピードにあるということを忘れてはなりません。いくら最後に決断しても、そのために時間をかけ過ぎておるようでは、優柔不断といわれても仕方ありません。果敢なる決断であります。 ここで気がつかれたことだと思いますが、これらの要因には、日常、必要とされる技術的、知識的能力は入っておりません。こういった能力は重要人物の要件にはならないことをよく認識して欲しいと思います。 「想い」の重い人間について、お話しましたが、理解して頂けたでしょうか。 |