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はじめに 「神の自叙伝」(反省編)では、人類から進化した人間が文明を開花していく中で最初は自然崇拝であったものが、だんだん人間的なものを崇拝するようになった結果、神という概念と共に宗教が興っていった過程を書き、その過程において人間がいかに地球レベルでは自然というか、つまり宇宙世界と乖離していくことが人間世界にも大きな不幸をもたらしたかを検証してみました。 その中で宇宙の意識がそれぞれのレベル、すなわち無限の世界、果てのない世界と言ってもいい絶対宇宙から、我々地球や太陽や銀河星雲を構成している全体宇宙、その中で我々太陽系恒星が無数にある星雲、また星雲の中に存在する太陽系恒星、そしてその惑星群とその惑星である地球、その地球の衛星である月。 これら7つの意識である「想い」が、それぞれの対応した星やその集団にどのような影響を与えてきたかを推論し、特に人間が住む地球の意識がその上にある太陽と、その下にある月との相対性を守りながら、地球に住む人間との関りにおいて神と崇拝されながらも、人間のご都合主義に振りまわされてきたかを象徴的に書いてみました。 ある意味で人間を創った結果、地球という星が逆に人間に振り回され、地球の意識が深く悩んでいく姿を描いてみました。 意識が悩むことは本来ありません。しかしそれは高いレベルの意識であって絶対宇宙とか大宇宙とか星雲宇宙といったレベルではそうでしょうが、肉体を持った、つまり一個体としての物体を持った星である太陽のような恒星になりますと意識だけではなく肉体をも持つ意識レベルになると悩みが生じる。そのあたりから意識の中に悩み苦しむ機能というか能力を持った心というものが、意識が多様化されて生まれてきました。そしてその意識の多様化した末端レベルに人間という地球上に住む生命体があり、その生命体と地球の意識の多様化した「想い」である心と、地球から物体として分化した月の意識の「想い」である心とがおりなす相対関係の中での葛藤、すなわち悩みの発生原因をそれぞれの立場で人間的に表現してみました。 その中で「反省」するということが、多様化した、分化した、言いかえればばらばらに無秩序になってしまった意識を結晶化させて、本来の悩み苦しむことのない意識に戻れることが出来る一つの方法である、と結論づけました。 しかし反省が反省だけで止まっていては、せっかく結晶化した意識もまた無秩序な状態の心にすぐに戻ってしまいます。逆にもっと高い意識レベルに上げていくためには反省だけで止まらず、常に正しい心に改めていこうとする姿勢が必要となります。 ここではそれを「改正編」として描いていこうと思っています。 高い意識への道距はまだまだ果てしのない遠いものであります。 平成12年11月24日 新 田 論 | ||
| 反省編 改正編 決断編 実行編 終幕編 |
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| 神の自叙伝 改正編 |
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| 第一章 改正の道 | 第二十一章 待ち受ける月 | 第四十一章 改正編について |
| 第二章 七の法則 | 第二十二章 精神性の向上 | 第四十二章 48の法則 |
| 第三章 利他心と利自心 | 第二十三章 法則 | 第四十三章 16種類の生き方 |
| 第四章 神とカミ | 第二十四章 月への切符 | 第四十四章 誕生と死 |
| 第五章 神の器量 | 第二十五章 他の惑星とのギャップ | 第四十五章 決断への「想い」の準備−1 |
| 第六章 宗教と哲学 | 第二十六章 時間の変化 | 第四十六章 決断への「想い」の準備−2 |
| 第七章 神の正しい概念 | 第二十七章 5000才の人間 | 第四十七章 決断への「想い」の準備−3 |
| 第八章 人間とは | 第二十八章 年令と肉体 | 第四十八章 決断への「想い」の準備−4 |
| 第九章 立派な人間と偉い人間 | 第二十九章 テンシの訪問 | 第四十九章 決断への「想い」の準備−5 |
| 第十章 奇跡を生む力 | 第三十章 黙示録のヒント | 第五十章 改正編の終わり |
| 第十一章 怠惰な人間 | 第三十一章 ×印の人間 | |
| 第十二章 想いと思考 | 第三十二章 魂の遺伝 | |
| 第十三章 神と人間の共同仕事 | 第三十三章 肉体の交換 | |
| 第十四章 遍在する「想い」・偏在する「肉体」 | 第三十四章 病気と寿命 | |
| 第十五章 神としての態度 | 第三十五章 死ぬ喜び | |
| 第十六章 調子に乗るということ | 第三十六章 宇宙の誕生 | |
| 第十七章 立派な人間の養成 | 第三十七章 タイムトンネル | |
| 第十八章 一病息災・一難息災 | 第三十八章 「想い」の結晶化 | |
| 第十九章 テンシの雲 | 第三十九章 楽しい宇宙の世界 | |
| 第二十章 新しい人間社会 | 第四十章 神と人間の関係 | |
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反省編・改正編を終わって わたしは、今まで、神の存在というものについて、じっくりと考えてきたことがありませんでした。 神という言葉自体が、人間の造語であって、もし神が存在するなら、何と思われているだろうかと、最近になって疑問が湧いてきました。神 、ゴッド、アラー、…世界中の国で神のことを自分たちなりに命名しています。 もし、神が存在しないなら、これだけのいろいろな名前があっても不思議ではありません。それぞれの観念が創り出したものですから。 しかし、もし本当に神が存在したならば、我々人間は、その存在にいったいどう対処することが正しいことなのでしょうか。 自然の中で生きている動物は、どうでしょうか。 彼等は、神の存在を知っているのでしょうか。いや知らないでしょう。自然のルールを本能的に知っているだけでしょう。 しかし、少なくとも、彼等の方が、神の存在に近いところで生きているような気がしませんか。 人間が、神から一番遠いところで生きているように思えてなりません。 それ故に神の存在の有無を論議するのではないでしょうか。 動物たちは、神のそばで生きているために、神の存在を疑ったことがないのだと思うのです。 本当に、神の存在を知りたいのなら、もっと神のそばで生きてみることではないでしょうか。 それには、どうしたらいいのか。 次の決断編で検証してみたいと思います。 平成13年2月5日 新 田 論 | ||