第十三章 静止(実在)と運動(映像)

超対性理論Vol.(I)【おわりにあたって】で論述したように、
宇宙論には、相対性理論しかなかった。
だから、運動する宇宙しか頭になかったのである。
運動するには、はじまりとおわりが要る。
円運動するには、始点=終点が要る。
はじまりとおわりは静止点である。
始点=終点は静止点である。
つまり、
運動する宇宙には、必ず、静止する宇宙が要る。
しかも、
運動する線、運動する円は、点の連続体に過ぎない。
つまり、
運動(線、円)は所詮映像で、静止(点)が実在するだけである。
従って、
運動の世界(宇宙)とは映像の世界(宇宙)に他ならなかったのである。
一方、
静止の世界(宇宙)こそが実在の世界(宇宙)に他ならなかったのである。
まさに、
映画のシステムがそのことを証明している。
そこで、
白いスクリーンに映っている映画(動画)は映像であって実在しない。
一方、
映写室にある映写フィルム(静止画フィルム)こそが映画(動画)の元(実在)に他ならない。
つまり、
映写フィルム(静止画フィルム)を回して(運動させて)、光を当てることで、我々人間が現実だと錯覚する映画(動画)が白いスクリーンに映るのである。
まさに、
過去・現在・未来という、いわゆる時間が映画(動画)のことであり、
『今、ここ』こそが、映写フィルム(静止画フィルム)に他ならない。
従って、
我々人間が、いわゆる現実だと信じ込んでいる映画(動画)の過去・現在・未来の正体とは、時間ではなく、光景、つまり、空間だったのである。
従って、
アインシュタインが主張する「時空の世界(宇宙)」とは、映像の世界(宇宙)に過ぎなかったのである。
従って、
閉じた宇宙、つまり、有限の世界(宇宙)とは、運動の世界(宇宙)、つまり、映像の世界(宇宙)に過ぎなかったのである。
そして、
開いた宇宙、つまり、無限の世界(宇宙)=無の宇宙とは、静止の世界(宇宙)、つまり、実在の世界(宇宙)に他ならなかったのである。
従って、
現代物理学が主張する、トンネル効果理論によって生み出された無の宇宙などは、所詮、映像の世界(宇宙)と変わりはないのである。
要するに、
静止と運動は、実在と映像の関係に他ならないのである。