第四十一章 神とはお金(medium)

媒体である光を神の化身とするなら、神は媒体(medium)に過ぎない。
だから、
神は普遍(omnipresent)なのである。
言い換えれば、
普遍(omnipresent)である神とは、平均的な存在ということになる。
一方、
我々人間はひとり一人違う個性的な存在なのである。
そこで、
第三十章【神とは媒体(medium)】を思い出していただこう。
そして、
光を神に置き換えてみよう。
つまり、
相対性理論(運動理論=物理学)は、映像理論である。
そして、
超対性理論は、事実(実在)である。
まさに、
映画のシステムがそのことを証明している。
つまり、
映像理論である、相対性理論(運動理論=物理学)は、神理論に他ならない。
では、
神とは一体何者であるのか?
そこで、
第十五章【有(映像)の宇宙】を思い出していただこう。
見えない宇宙を見える宇宙にしているのが神に他ならないことを示唆している。
言い換えれば、
“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無感触の宇宙”を“運動の光と音と臭と味と感触の宇宙”にしているのが神に他ならないことを示唆している。
言い換えれば、
暗黒物質を光物質にしているのが神に他ならないことを示唆している。
言い換えれば、
暗闇を光にしているのが神に他ならないことを示唆している。
まさに、
暗闇が実在であって、光は暗闇の不在概念に過ぎないことを示唆している。
言い換えれば、
無の宇宙を有の宇宙にしているのが神に他ならないことを示唆している。
まさに、
実在の宇宙を映像の宇宙にしているのが神に他ならないことを示唆している。
結局の処、
神とは媒体に過ぎないのである。
つまり、
伝達の媒介となる手段こそが、神の正体に他ならないのである。
従って、
手段である神などそもそも実在しないのである。
まさに、
手段であるお金などそもそも実在しないのと同じである。
ところが、
我々人間だけが、お金を追いかけまわしているのである。
まさに、
神とは媒体(medium=メディア)に他ならない。
まさに、
我々人間が創った神とは、神という媒体(medium=メディア)に他ならない。
だから、
我々人間は、お金という媒体(medium=メディア)を追い掛け回すわけだ。
まさに、
我々人間にとって、
お金とは神に他ならないのである。