第五十章 相対論は宗教

現代物理学、天文学では、
相対論と量子論が基本にある。
ところが、
相対論と量子論は真っ向から対立している。
言い換えれば、
マクロ理論(相対論)とミクロ理論(量子論)とは真っ向から対立している。
なぜならば、
ミクロ理論(量子論)は実在性を追求しているからだ。
言い換えれば、
ミクロ理論(量子論)は暗闇の世界を追求しているからだ。
一方、
マクロ理論(相対論)は映像性を追求しているからだ。
言い換えれば、
マクロ理論(相対論)は光の世界を追求しているからだ。
ところが、
ミクロ理論(量子論)の方がますます有利になってきている。
言い換えれば、
マクロ理論(相対論)の方がますます不利になってきている。
従って、
二十世紀がマクロ理論(相対論)の世紀なら、二十一世紀はミクロ理論(量子論)の世紀になるだろう。
なぜならば、
量子論とは、
粒子と波動の二面性を追求する学問であるからだ。
一方、
相対論とは、
粒子若しくは波動の一面性を追求する学問であるからだ。
つまり、
量子とは、粒子(静止)でもあり、波動(映像)でもある漠然とした集まりの存在であるものを指している。
言い換えれば、
ミクロ理論である量子論とは、全体感を追求する学問に他ならない。
逆に言えば、
マクロ理論である相対論とは、部分観を追求する学問に他ならない。
まさに、
この現象は逆さま現象に他ならない。
言い換えれば、
科学は客観性を追求する学問と主張する所以に他ならない。
一方、
宗教は主観性を追求する学問と主張する所以に他ならない。
まさに、
この現象も逆さま現象に他ならない。
逆に言えば、
主観性を追求する学問である宗教が、部分観を追求する学問に他ならない証明である。
一方、
客観性を追求する学問である科学が、全体感を追求する学問に他ならない証明である。
従って、
全体感を追求する学問に他ならないミクロ理論の量子論とは、全体感を追求する学問の科学に他ならない。
逆に言えば、
部分観を追求する学問に他ならないマクロ理論の相対論とは、部分観を追求する学問の宗教に他ならない。