第六十五章 真の自分&偽の自分

自分は静止する実在。
他者は運動する映像。
なのである。
つまり、
映写フィルムを撮影、現像する技術こそが、生き方の哲学に他ならない。
つまり、
映写フィルムとは静止画フィルムの集まり(量子)に他ならない。
言い換えれば、
『今、ここ』のスナップ写真こそが、静止画フィルムに他ならない。
逆に言えば、
過去・現在・未来という時間に想いを馳せることこそが、映像(映画=動画)を現実だと錯覚することに他ならない。
つまり、
過去・現在・未来といういわゆる時間(心理学的時間の矢)を、時空の世界(宇宙)とする現代物理学(光=速度=力=質量)とは(媒体)学問に過ぎない。
つまり、
時間(過去・現在・未来といういわゆる時間(心理学的時間の矢))=空間=力=質量=エネルギー=媒体に過ぎない。
だから、
自分は静止する実在。
他者は運動する映像。
なのである。
言い換えれば、
五感を失った存在、つまり、鑑賞者が真の自分なのである。
一方、
五感に基づく映像(音、匂い、味、肌触り)が偽の自分、つまり、自我意識(エゴ)の自分なのである。