第八十三章 死を超える

我々人間の怖れている死とは、(自我)意識の死のことである。
つまり、
“自分は・・・”と思っている(自我)意識の死(消滅)を怖れているのである。
なぜならば、
“自分は・・・”と思っている(自我)意識が死ん(消滅)でも肉体はまだ生きているからだ。
従って、
“自分は・・・”と思っている(自我)意識の死(消滅)を怖れる必要はない。
これは一体何を示唆しているのか?
結局の処、
肉体(五臓六腑)が生きていても、五感機能が停止したら、死んだも同然ということに他ならない。
もちろん、
肉体(五臓六腑)が死んだら、五感機能も停止するから、これは完全な死である。
結局の処、
肉体の死は、(自我)意識の死(消滅)に繋がる。
(自我)意識の死(消滅)は、肉体の死に繋がらない。
従って、
肉体は滅びても、魂は永遠であるという輪廻転生説は、まったく逆さまだった。
つまり、
魂は滅びても、肉体は滅びない場合もある。
もちろん、
肉体が滅びたら、魂も滅びる。
まさに、
我々人間の怖れている死とは、“自分は・・・”と思っている(自我)意識の死に他ならない証明である。
だから、
肉体は滅びても、魂は永遠であるという輪廻転生説を信じたくなるのである。
しかし、
肉体の死は、(自我)意識の死(消滅)に絶対に繋がる。
果たして、
肉体の死と繋がらない純粋意識などあるのだろうか。
その答えは、
宗教と科学を超えた処にあるだろう。
その時はじめて、
人類は死を超えることができるだろう。