第九十一章 『実在の死』&『映像の死』

人間が誕生→生→死という円回帰運動をするように、
人間社会も誕生→生→死という円回帰運動をする。
まさに、
二十一世紀は、
組織社会が死に、個人社会が誕生する。
では、
宇宙にははじまりがあったのだろうか?
言い換えれば、
宇宙には境界線があったのだろうか?
言い換えれば、
宇宙には特異点があったのだろうか?
一方、
我々人間にははじまりがあったのだろうか?
その答えはイエスだ。
つまり、
誕生があったのだから。
つまり、
誕生・生・死の円回帰運動だ。
従って、
我々人間にも誕生という境界線(特異点)があったわけだ。
それならば、
我々人間にも死という境界線(特異点)があるはずだ。
一方、
毎日の眠りの中で観る夢の世界と、夢から覚めたあとのいわゆる現実の世界との間にも境界線(特異点)がある。
なぜならば、
夢の世界といわゆる現実の世界は同じ世界だと思っていないからだ。
ところが、
問題は、夢の真最中には、夢だと思わず、現実だと思っている点にある。
つまり、
絶対性の死(可除特異点(removable singularity)=π/2(90度))が、
夜眠りに就く瞬間(とき)であると錯覚する所以がここにある。
従って、
相対性の死(真性特異点(essential singularity)=3π/2(270度))が、
朝眠りの中の夢から覚めた瞬間(とき)であると錯覚する所以がここにある。
つまり、
絶対性の死、相対性の死とは、
対消滅と相転移による映像の死に他ならなかったのである。
そして、
超体性の死が、
実在の死に他ならなかったのである。