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第十章 十七条憲法―9 「九に曰く 信はこれ義の本なり。事毎に信あれ。其れ善悪成敗は、要、信にあり。群臣共に 信あれば、何事か成らざらむ。群臣信なくんば、万事悉く敗れむ」 信があって義が立つのである。何事にも、すべて信がなければならない。善悪とか成功失敗は、要するに、この信があるかないかによって決まるものである。群臣たがいに信があったならば、何事でも必ず成就しないことはない。群臣に信なければ、万事失敗である。 現代においても信用がなければ、事業のみならず、あらゆる人間関係において成功は有り得ない。 太子は、ここでも信用第一と言っておられるが、見逃してならないのは信用が義つまり正義の根本であると言っておられることに注目しなければならない。 現代日本社会は、正義という言葉を失ってしまった感がする。 さしずめ、現代日本においては「信があって利が立つ」社会になってしまったようである。 信用はあくまで条件であって、結果が義であるのと利であるのでは大きな違いである。 さらに悪いのは、現代日本においては信用も糞食らえ、利のためなら手段を選ばずの風潮になっている。それも時代をリードする世代でもそういう人物が小手先だけで偉くなっておるようでは、若い世代を教育できるような資格はない。そういう人物に限って、何か問題が起きると、「自分は何も知らなかった」と言って部下に責任をなすりつける破廉恥極まりない60代、70代の先達がおるのは、これからの高齢化社会を迎える日本にとってゆゆしき問題だと思うのです。 侍の時代なら、間違いなく、獄門さらし首の刑でありましょう。 そういう人間にかぎって、自分は優秀であると思っており、汚いプライドを持っておるから余計性質が悪く、菌をばらまくごきぶりのような存在であります。 これは、ひとえに義の精神の欠落からくるものであります。 60代後半から70代の世代(大正末期から昭和一桁世代)にこういったごきぶりが多いのは、戦中戦後に暗い青年時代を経験した結果、いやしい人間性を培ったと考えられます。哀れと言えば哀れではありますが、もう少し年上の世代なら特攻隊になっておった訳で、まさに人材の谷間の世代と言えましょう。 そういった世代もやっと引退の時期にきましたので、もう少しましな日本にこれからなるだろうと期待はしておりますが、この谷間が結構長かっただけに、いつごろから上昇気流に乗れるかのタイミングが重要な要因となるでしょう。 そのためには、信用の本になる義を取り戻すことが一番肝要かと思います。 |