第十五章 十七条憲法―14

「十四に曰く 
   群臣百僚、嫉妬あることなかれ。われ既に人を嫉まば、人また我を嫉まむ。嫉妬の患、その極みを知らず。所以に智、己に勝れば、則ち悦ばず、才、己に優れば、則ち嫉妬す。是を以って、五百歳の後、乃(すなわ)ち賢に遭わしむとも、
   千載にして以って、一聖を待つこと難し。其れ聖賢を得ざれば、何を以ってか国
   を治めむ」

役人というものは、人を嫉み妬む心があってはならない。自分が人を妬むと、人もまた我を妬むであろう。かような嫉妬心の弊害は、実にきりのないものであって、頭が自分より良ければ、おもしろくなく、才能が自分にまさっていれば、また妬む。賢人は五百歳に一人ということもあり、聖人は千年にして一人を得がたいということもある。しかしその優れた人物を得なければ、どうして国を治めることができようか。

この嫉妬、妬み、というのは日本人の欠点であります。
男女間のものは、世界中あるものですが、他人が偉くなったりすることに、妬みを持つのは日本人独特のもののようです。
太子が第1条で言っておられる「和の精神」とパラドックスになっているようにも思われます。
みんなとよく話しあって何事も決めなさい。と言っておられるのに、ここでは優れた人物は五百年や千年に一人しか出て来ない、そして、普段そういう人物がいないから、よく話しあいをするようにと言っておられる。
ということは、優れた人物が世を治めることが最善なのだが、めったに現れないから、仕方なく話し合いをせよと言っておられるように思えてなりません。
現実的な発想だと思います。それだけに聖徳太子という方は、本当の政治家であったと思います。
理想をきっちり持っていて、なおかつ、現実に即応していく。
これは、言うに易し、行うに難しであります。
歴史を振りかえって見ますに、これを実践した人たちは、みんな非業の死を遂げています。
理想を最初は持っていたが、現実に押し流されて、理想を捨て、現実に即応した人間だけが生き残って歴史にその名を残しているのであります。
歴史の途中まで主役を演じても、理想を貫こうとした人物は必ず非業の死を遂げています。そして生き残って、功なり名を遂げたハイエナ連中が、後々のことを考えてこういった人たちを美化しておる。これが日本の歴史の特徴であります。
だから、史実といって、歴史を正当化するのは明らかに間違いであります。
もちろん、歴史すべてが偽りだとは思いません。
しかし、その歴史を残した人間の動機は、真実を曲げるための史実であり、歴史であるのです。
真実の歴史を知るためには、伝説と、一人一人の洞察力にかかっています。
その洞察力を養うためには、知識だけでは返って邪魔になります。
自分自身が、当時の歴史上の人物になって考えることです。
そして、その結果が、今のあなたの想いを鏡に照らしていることを忘れてはなりません。