第十七章 十七条憲法―16

「十六に曰く
   民を使うに時を以ってするは、古(いにしえ)の良典なり。故に冬月、間あれば、
   以って民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑の節なり。民を使うべからず。
   其れ農せざれば、何をか食せむ。桑とらずば、何をか服(き)む」

「民を使うに時を以ってす」とは古の良い法則である。民を公役に使うに際しては、特に時季ということをよく考えねばならない。冬の間は、農業も暇であるから、民を賦役に使う場合は、なるべくこの間を利用して、民に迷惑をかけないようにせよ。春から秋までは、農蚕業の忙しい時である。民を使役してはならない。もし民が農耕にいそしまなかったならば、国民は何を食って生きるか。また養蚕をしなかったならば、何を着てゆけるであろうか。

ここに当時の時代背景が、くっきりと出ています。
いつの時代にも、戦や公役には一般大衆を引っ張り出していたこと。
今流に言えば、徴兵制度です。
自分たちの国は自分たちで守るという精神が自然に具わっている。
そこで、一般大衆が納得して、公の仕事に参加できる配慮が必要であると強調されている。
いつの時代でも優れた指導者という者は、一般大衆のことを気にかけている。
それと、もうひとつ衣食住という人間の生活の上での基本を忘れてはなりません。
しかも、衣は絹と言っておられる。
太子の時代は飛鳥時代であり、平安京である京都が都になるのに数百年を要しているのに、すでに山城の地(現在の太秦)に養蚕業が始まっている。
シルクロードを通って、ローマの地と交易をする品物が絹であった。その絹の生産に太子が注力したのは特筆すべきことであります。
そこには、渡来人の秦河勝の存在があったからだと思います。
その後、数百年を経て、平安京が出来るのを、既に予見していた感がしてなりません。
いずれにせよ、数百年先を見越しての政治が出来る太子であったことは事実でしょう。
その聖徳太子が、一族郎党皆殺しの目にあったのがその後の歴史です。
どうやら、この国は先見性のある人間は必ず抹殺される運命を辿るようです。
目先ばかりを追いかけている指導者が生き残り、歴史にその名を燦然と残しているこの国の特性を変えるのは不可能に思われます。
しかし、抹殺されるのを覚悟しながらも国のために働いた人間が、今の日本を日本たらしめていることを、決して忘れてはなりません。