第二十一章 漢字と仮名

現代の日本語は漢字である表意文字と、仮名である表音文字との組合わせで、できています。
現在使用されている、当用漢字は固有名詞も含めて三千語あると言われています。
そして漢字と仮名とのつなぎ役として使用されている送り仮名がある。
この送り仮名の使い方がもうひとつはっきり決まっていない。
たとえば、わたしが文章を書く場合、いつも戸惑う言葉がいくつかある。
「変わる」という言葉があります。
パソコンのWordを使用しているのですが、Kawaruとキーを打つと「変わる」と変換されて出てくる。
ところが、必ず、その下に文法ミスのアンダーラインが現れる。
そして、「変る」と変更すると正しいというシグナルとしてアンダーラインが消える。
いろいろな文献を調べてみると、「変わる」と書かれている方が圧倒的に多い。
街の書籍店には、いろいろな本で氾濫しているが、どの本をとってみても統一された書式というものがない。
鍵括弧とってみても、決まったルールはないようです。
どうやら、言葉というものは、時代とともに変化していくものらしい。
その中で、日本語として、どうしても守らなければならないものがあります。
それが、国の字として今ある漢字と仮名ではなく、国の言葉である国語であると、わたしは思うのであります。
最近、日本語の中に、英語がその勢力を伸ばしてきております。
この現象は、日本語に限らず、どこの国の言葉でもよくあることです。
たとえば、大戦前のトルコ語は80%がアラビア語で10%がペルシャ語で残りの10%しかトルコ言語は使われていない時期がありました。
しかし、現在のトルコ語はトルコ言語のルーツであるアルタイ語をベースにしたものに変わっています。
日本語もアルタイ語をルーツにしたもので、韓国語、ツングース語、モンゴル語などは、みんなアルタイ語が源流であります。
だから、文法が極めて似ているのです。
そのトルコ語がイスラム圏から離れ、キリスト圏に移った結果、今のトルコ語になったわけです。
日本に漢字が導入されたのも、中国儒教の論語と中国語仏教経典とともに4,5世紀にやって来てからなのであります。
ところが、現在の日本の思想のベースになっているのが儒教や仏教だとは決して言えません。
それなのに、依然漢字が多く使われているのは、おかしな話しであります。
表音文字を主張することは、日本古来の神道をその思想の中心におくことであり、表意文字の漢字を主張することは、渡来の仏教や儒教をその思想の中心におくことであります。
そうすれば、現在の英語の氾濫は、これからの日本の思想にどういう影響をもたらしていくか興味のあるところです。