第二十二章 日本語の数

皆さんは、日本語は一つだと思っておられるでしょうか。
しかし、皆さんの使われている日本語がどの程度通用するか、気が付かれたことがないと思います。
北海道から沖縄までの各地方で日常使われている言葉が、互いにほとんど外国語と同じぐらい理解できないものばかりであります。
これは方言の違いであるというだけでは、片付けられないほど複雑であります。
今は、標準語としての日本語を定めて、お互い通じない場合は、標準語を使うということになっております。
何を言いたいかと思われるでしょうが、要するに、民族と言語の関係であります。
民族の寄って立つ所以は、肉体の血のつながりであります。
言語の寄って立つ所以は、文化のつながりであります。
世界には五千以上の言語が存在すると言われています。
民族の数は多分その10分の1ぐらいでしょう。
ということは、同じ民族であっても文化が違うために、まったく違った言葉を使っている同一民族が平均10種類いるというのが、地球上の人類の現実であります。
人間は言葉で考える動物であります。
言葉が違えば、考え方もまったく変ってきます。
人間が、争い、殺し合う原因は、それぞれの考えの相克から生じます。
血縁が、人間の考え方にまったく関係ないとは申しませんが、やはり同胞意識を持つ最大の要素が言葉であることは間違いのないことだと言えるでしょう。
エチオピアには黒人でありながら、自分たちはユダヤ人であると信じている人たちがいます。彼らはあきらかにハム系ヘブライ人ではなく、エチオピア・イェーメン系アラビア人であります。しかしソロモンの時代にイスラエルの国と関係を持ったシバの女王がこのエチオピア・イェーメン系アラビア人であったために、以後血縁もできたでしょうが、同じヘブライ語を使うユダヤ教徒となったのであります。
そういたしますと、日本の場合に、たとえば東京の人間と大阪の人間が、同じ日本人だと言えるかということになってまいります。
結論から言えば、まったく違った日本人だと言えるでしょう。
東京の中でも北と南で、まったく違う言葉を使う。
八丈島では、島ごとに言葉が違うそうです。
結局、民族意識というのは、土地意識であり、文化意識というのは、家族意識・仲間意識であると考えざるを得ません。
そういたしますと、あきらかに意識の強さは文化意識、つまり同じ言葉を使う者同士の意識が一番強いということを言いたかったのであります。
家族でもそうであります。
血は濃いと言いますが、それは真っ赤な嘘であります。
それよりも情のつながりの方がはるかに絆は強いことは歴史が物語っております。
言葉とは、人間の想い・行動まで影響してしまうものなのです。
わたしたちが何気なく使っている方言としての日本語には、長い歴史が刻み込まれているのです。
まず、おすすめしたいのは、小さい頃から使っていた言葉のルーツを探ることです。そこから、意外な事実が、あなたの前に現れます。
本当の自己の発見のもとが、そこにあるかも知れません。
何十年使ってきた言葉を安易に捨てるようなことは、自己否定をしていることと肝に銘ずべきだと思います。