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第二十三章 これからの日本語 今、世界の言葉は英語を中心に、簡略化の道を進んでおります。 我が国に多大な影響を与えた中国語の漢字も、日本語の漢字以上に簡略化されていっております。 たとえば、業という漢字も、中国では下の字が省略されています。こんな現象は無数に見られます。 また、英語の世界でも、きっちりとしたスペルが壊れてきています。 たとえば、Night がNiteになったり、Light がLiteになったり、Phone が Foneになったりして、英語の世界でも表意的要素から表音的要素に、大きく変わって来ております。 ところが、最近の日本の若い人たちの世界での流行歌を聞いておりますと、英語の言葉がやたらに多い。その傾向は結構なことだと思います。 かつて、漢字が中国から入ってきた時に、日本人の知識階級を中心に漢字の習得に努力した。その結果、日本語の一部としての地位を得た。 今、世界は英語に収斂しようとしていますから、英語の導入に努力することは、正しいことだと思います。 ただ、先程言いました、歌の中に挿入されている英語を見てみますと、まったく英語になっていない。表意的にも、表音的にも、これは英語ではありません。 あきらかに、英語の誤用であります。 多分、作詞した方が、まったく英語の基本を知らないのだと思います。 これは、非常に危険な現象であります。 しかし、遡ってみますに、過去、日本人は漢字に対しても同じことをやってきた前歴があります。 古事記しかり、万葉集しかりであります。 田児之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺余 雪波零家留 これは 誰でも、ご存知なぐらい有名な 山部赤人の万葉集の たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける の原文であります。 それが、今では 田子の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける となっておる訳です。 本来、漢字は表意文字の代表であるのに、それを表音的に使っておる訳です。 あまりにも、ひどいので後で 仮名文字を入れて修正した訳です。 今の流行歌の中の、英語を見ていますと、まさに同じことが言えます。 万葉集の原文を読んで、漢字の本家の中国の人は、何を言っておるかさっぱり、分からないのと同じであります。 外国語を導入することは、現代言葉がますます表音的になっていって、いつかは、一つの言葉として収斂していく過程では、必要なことであります。 しかし、その外国語の基本をきっちりと習得した上で導入しないと、後々とんでもない事態になってしまいます。 言葉を失った民族になってしまう危険性があります。 そういう点で、最近の日本人の、英語の誤用は、早急にやめさせなければなりません。 |