第二十七章 万葉仮名の誕生に潜むもの

古事記の漢字の使い方に、すでに万葉仮名が使われていると申しあげました。
この万葉仮名は奈良時代末期に成立されたもので、平城京が近江から遷都されたのが古事記が完成した712年の2年前の710年で、長岡京に遷都されたのが、784年でありますから、古事記が712年に完成されたことに、当然疑問が湧く訳であります。
万葉仮名というのは、仮名とは言っておりますが、要するに漢字であります。
漢字を、日本語つまり大和言葉の音を、無理やり漢字にして、漢字本来の意味とは、まったく関連しないで、その音だけを一字、一音節で表そうとして、できた漢字であります。
そして、まったく無意味な漢字を、音読みさせる音仮名と、訓読みさせる訓仮名とがありました。
前章で、紹介した山部赤人の有名な、万葉歌のひとつである、
「不尽」は富士山の富士を、万葉音仮名で表しており、「浦」や「雪」は万葉訓仮名で表しているのです。
一方、古事記で紹介した、
「伊豆毛」も出雲の万葉音仮名として表しています。
この万葉仮名が奈良時代末期にでき、そのあと平仮名が、万葉仮名の草書体を、もっと崩してできたのです。それが平安初期のことであります。
それまで、漢字で文章を書くことは、非常に知性のある証明でして、平仮名を使うことを恥だと思う男性が多くいて、最初は、女性だけが使う女手・女文字と呼ばれていました。
一方、平仮名と同じ時期に片仮名もできました。
こちらの方は、漢字の訓読みのために作られた表音文字でありまして、最初は、漢字の中でも画数の少ないものから作られたのであります。
この仮名文字が、平安初期に作られたことに深い意義があると思うのであります。
と言いますのは、この仮名文字が作られた背景には、万葉集の存在があったことは間違いない事実です。
万葉集が完成したのが、この仮名文字が作られた直前の奈良時代末期でありまして、しかも、漢字とは言え、万葉仮名が作られて、使われていたのであります。
想像するに、大伴家持が編纂した、この4500首にのぼる和歌が、どうして作られたか、柿本人麻侶、山部赤人、山上憶良といった、当時有名な歌人とともに、額田王という、天才女性歌人が入っていることに注目をしなければなりません。
額田王は、言わずと知れた、天智天皇、天武天皇という兄弟の間で、振りまわされた、いわゆる三角関係の主人公であります。
大海人皇子(おおあまのみこ)つまり後の天武天皇の寵愛を受けた女性であった額田王を、兄の天智天皇が、力ずくで奪ったという、日本書紀の話であります。しかし額田王の本心は天武の方にあったということを、万葉集の中で、10編の歌で綴っているのです。
そして、大伴旅人という、編纂した家持の父親の歌も、万葉集の中に入っている。
これは何を意味するのでしょうか。
万葉集の編纂にも天武天皇が関係しているということであり、完成したのは奈良時代末期とは言え、奈良時代とは天武王朝を指しているのであります。
しかも、天智、天武という兄弟は骨肉の争いをした仲であるのです。
そして、この骨肉の争いに決着をつけた壬申の乱で功績を上げた武将に、家持の子の大伴安麻侶がいることから、あきらかに万葉集は、天武天皇の意図が入っておるのです。
結論から申しあげますと、古事記、万葉集は、天武王朝の意図が入った書物。
日本書紀は、天智王朝の意図が入った書物であり、現在、日本書紀が公式の歴史書であるのです。
わたしが、申しあげたいのは、そういった歴史の真相がどうであったかということではありません。
仮名文字ができた背景を説明しておる訳でして、その仮名文字ができてから100年以上経った905年に醍醐天皇の下命により、日本最初の勅撰和歌集として古今和歌集が編纂され、仮名文字と真名文字つまり漢字とが併用された、現代の日本語の形態を取った書物ができたのであります。
その間に100年以上の歳月が、かかっておるのです。
しかも醍醐天皇が下命しているところにも大きな意味があるようです。これに関しては、詳細は、次章で、お話いたしますが、政治的意図があったとだけ言っておきたいと思います。
言語にまで、政治が絡んでいる、しかも日本の国の、歴史の根幹となるところで、日本語の歴史まで影響を受けたことに、一種の否定的感情を持つのは、わたしだけでしょうか。