|
第三章 十七条憲法−2 「二に曰く 篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。則ち四生の終帰、万国の極宗なり。 何(いず)れの人か、この法を貴(たっと)ばざる。人尤(はなは)だ悪しきものは 鮮(すくな)し。よく教うれば、これに従わむ。其れ三宝に帰せずんば、何を以って か曲がれるを直くせむ」 熱心に三つの宝を大事にしなさい。三つの宝とは仏と法と僧である。 仏は師と仰ぐ人をいい、その師の説かれた教えを法といい、そしてその法を広めるのが僧徒であり、いわゆる聖職者である。 人間はもちろんのこと、四生(胎生・卵生・湿生・化生の四種類の生物をいい、哺乳類・鳥類・節足類)も、つまりあらゆる生物も結局この法に従わなければならない。 その観点から言えば、人間も本来、そんなに悪人はおらないのである。 よく真理を教えれば、素直に従うものである。 したがって、この法に従わなければ、曲がった根性を直すことはできない。 ここでいう法というのは、宇宙の真理と考えていいでしょう。 この宇宙の真理を説いてきたのが聖者と呼ばれる人たちでありました。 聖者とまで呼ばれなくても、聖職者と呼ばれる人たちが進んで、宇宙の真理を広めなければならない、と言っているのです。 その聖職者と呼ばれる人たちは、さしずめ、宗教者はむろんのこと、教育者、政りごとを行う人(つまり政治家)、医術を以って一般人の苦痛を治してくれる人(医者)、一般人の代弁者として義を訴えてくれる人たちを指しているのです。 その観点から、現代の仏であり、僧である聖職者は、太子のこの憲法に甚だしく違反しておるように思えてなりません。 ましてや、その中の教育者が、日本の大切なやまと言葉を教える立場にありながら、「差別用語」と言って、葬ろうとしています。 聖職者が、人のために何をすべきかを認識せずに、逆に己の利益のみにやっきになっている。さしずめ政治家、医者などはその類でしょう。 その政治家などが、ちょっとした不用意な言葉を吐いたからと言って、すぐに辞めさせられたり、自分から辞めたりしている。 なぜ、信念を以って事に立ち向かう気概がないのでしょうか。一体何のために政治家になったのか、まったく理解できない政治家が多い。 むかしから、伝えられた価値あるやまと言葉を、聖職者が進んで広めることが、ここに言われている「よく教うれば、これに従わむ。其れ三宝に帰せずんば、何を以ってか曲がれるを直くせむ」であるのに、これら聖職者たちが曲がってしまっておるようでは、国が良くなるはずがないと思います。 |