第三十章 君が代

君が代は 千代に八代に さざれ石の 巌となりて 苔の生(む)すまで

日本の国歌であります。
古今和歌集で、題しらず、読み人知らず、として載っているのが初めてであります。
その元歌は、

吾が君は 千代に八千代に さされ石の 巌となりて 苔の生すまて

となっておりました。
従って、千年以上も前から、あった歌であります。

また「君が代」を、第一句に含む歌となりますと、万葉集にも見られます。
また、古今・新古今では11集あります。
この歌に、曲が作られたのが1880年(明治13年)で、宮内省雅楽一等伶人(雅楽を奏する人)、林広守という人によってであります。それにドイツ人音楽家のエッケルトが、洋楽の和声をつけたものであります。
そして、1893年(明治26年)に、文部省が小学校の儀式の唱歌として告知したのです。そして国歌となったのであります。
当時、ドイツに留学をしていた、作曲家・山田耕作は、ドイツの音楽専門家の間で、世界の主な国歌の中で、日本の「君が代」が世界一だと絶賛したという話があります。
それを、近年、国歌斉唱を止めるべきなどと、言う知識人がおるようです。
彼らこそ、国賊と呼ばれるべき人間たちであります。

「君が代」とは、天皇のことであり、「千代の八千代に」は、「天皇の代がいついつまでも」という意味でありますが、現憲法に沿って考察いたしますと、「日本および日本国民が、いついつまでも平和で栄えますように」という意味であります。
イギリスの国歌は世界で一番古いもので、
「神よ、守れ、女王を」と歌っています。
労働党が政権を取っても、この国歌を歌っています。
それに対して、日本の革新派の政治家や、先ほどあげました、知識人たちは、「君が代」を廃絶しようといまだに考えておる。
国賊そのものであります。

「さざれ石の 巌となりて」、さざれ石とは細かい砂つぶのことであります。
これが、巌となる、つまり、堆積して岩石になる。すなわち、何百万年、何千万年かかって、すな粒が、堆積岩になる期間と、同じくらい、長く平和が続くように、祈っているのです。
「苔の生(む)すまで」、そして、その岩に、苔ができるまで、これからも、この平和の世が続きますように、という意味であります。

アメリカ国歌を紹介します。

見ろ 朝の薄明かりに
たそがれゆく 美しい空に浮かぶ
われらの旗 星条旗を
弾丸降る 戦いの庭に
頭上高く ひるがえる
堂々たる星条旗よ
おお われらが旗のあるところ
自由と勇気は
共にあり

中国の国歌は、

立て、奴隷となるな
血と肉もて築かむ
よき国 われらが危機せまりぬ
今こそ 戦うときは来ぬ
立て立て 心合わせ敵にあたらん
進め進め 進めよや

どちらも、戦争で勇気を鼓舞する戦いの歌であります。

それに比べて、「君が代」は何と平和な歌でありましょう。
それなのに、「君が代」を歌えば、戦前のような軍国主義に戻ってしまう。と主張する連中の、頭の程度、いや、言葉の深い理解力の無さから来る幼稚さに、一日本国民として恥じる思いになるのは、わたしだけでしょうか。
太平洋戦争に対して、昭和天皇が、

四方の海、みなはらからと思う世に、など波風の立ちさわぐらむ
(海をへだてたわが国のまわりの国々は、みな兄弟(はらから)だと思っているのに、
どうして、波風立て、戦争をしようと、騒ぐのだろうか)
と詠まれています。
この歌は、日露戦争前に明治天皇が詠まれた歌を、そのまま詠まれたのであります。
「君が代」は、軍国主義化どころか、平和を祈る歌なのであります。
因みに、竹山道雄氏の「剣と十字架」によると、1480年から1941年までの約450年の間に、各国の戦争の回数は、イギリス 78回、フランス 71回、ドイツ 23回、日本 9回であります。
この数字は、何を意味するかと思われるでしょうか。
中世のヨーロッパ帝国主義による、一方的な、侵略戦争であったのです。
ドイツの回数が少ないから、イギリス、フランスに追いつくために、結局、第一次・第二次世界大戦を起こしただけのことであります。
それと、十字軍の宗教戦争であります。
「君が代」の下の日本は、極めて平和を好む国家であることが、この歌に、見事に現われていると思うのであります。
この歌の原点が、万葉集の時代から、現在まで続いているということは、奇跡と言っても過言ではありません。