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第三十二章 源氏物語 いづれの御時(おほむとき)にか、 女御(にょうご)、更衣(かうい)あまたさぶらひたまひけるなかに、 いとやむごとなき際(きわ)にはあらぬが、 すぐれて時めきたまふありけり。 はじめより我はと思い上がりたまへる御かたがた、 めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。 それより下臈(げらふ)の更衣たちは、ましてやすからず。 という書き出しからはじまる、日本で唯一の文化遺産「源氏物語」であります。 現代解釈いたしますと、 「どの天皇の時代であったか、天皇のお世話をする、女御や更衣という、いわゆる天皇の寵愛を受ける愛妾たちの中で、それほど身分の高くない女官が、それはそれは帝の寵愛を一身に受けられました。 いつの世も変わらぬことながら、まわりの我こそはと思う女官たちの嫉妬に合いました。」 平安中期の1001年から5年をかけて、紫式部という子持ちの寡婦によって書き残された、日本の物語文学の最高峰と言われている、平安時代の4代の帝、70数年にわたる大長編小説で、特に心理描写・風景描写に優れております。 私事で恐縮ですが、本来、哲学・随筆書が得意の分野であります私が、小説を書いてみたくなったきっかけが、この千年も前に書かれた源氏物語の、心理描写の素晴らしさを知ったからでありました。 それまで、人間という魔可不思議な動物の内面探求を、ヘーゲル弁証法的にしか表現できなかった私に、物語という形で、人間描写を隠喩的(Metaphor)に表現できることを、この作品が教えてくれたのです。 しかも、現実というリアリティーを背景に、不倫、不義密通、権力への執着、そして最後には懺悔の出家といった、人間の煩悩、欲望、業といった、究極の課題を表現している内容は圧巻であります。 物語は、本来フィクションであり、主人公の光源氏も実在した訳ではありませんが、どうやら対象となるモデルがいたようで、光源氏の恋の相手の一人である、朧月夜(おぼろつきよ)の君は、あの有名な和泉式部だと言われております。 もっと、現実味のあるのは、光源氏の父である、朱雀天皇、そして継母の藤壷の女御との不義密通から生まれたという、後の冷泉(れいぜい)天皇は、それぞれ第61代、第63代の実在天皇であるところが、何か暴露小説のようにも思われる訳です。 現代人が忘れかけている、欲望という罪の種が芽をふき、因果応報という形で罰を受ける真理を見事に描いている点などは、どんな道徳観を教えるいかなる教材といえども足もとに及ぶべきもないと思うのであります。 これだけの、心理描写が女性の手によって書かれたことは、奇跡としか言えません。 男女差別で言っている訳ではありませんが、表相的な面に執らわれがちなのが女性の本質であるのに、人間の深い心理を、真理として把握して書いている作品なのであります。 主人公の光源氏という男性の一生を書き綴ったこの物語が、女性の手によって書かれたことは、男性と女性というパラドキシカルな人間の本質を、これまたパラドキシカルな現象として世に残しています。何かとてつもない真理の深淵を垣間見させてくれたところに深い意義があるように思えてなりません。 言いかえれば、人間をエデンの園から追放した神が、罪の種を、女性を介して、人間そのものである男性に授け、男女共通の罰を与えた意図が、わたしには見えてくるのであります。 女性である著者の紫式部に、神が自動書記させたとしか思われない。 その神の意図は何であったのか、今でも神は我々人間に問うているのではないでしょうか。 古代の文学書を、ただ歴史観から教育の教材として使うのではなく、その内容にまで踏み込んだ教育が、現代日本人には必要なのではないでしょうか。 しかし、やまと言葉を知っていなければ、それは不可能です。 その為には、日本語の原点を再認識する教育が必要ではないかと思います。 |