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第三十四章 平家物語 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す 驕れる者も久しからず、只春の夜の夢のごとし たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ 平家物語を、琵琶法師が語り歌う(平曲)、冒頭の歌であります。 余りにも有名な、一節でありますから、現代訳する必要はまったくありません。 祇園精舎というのは、梵語(サンスクリット語)を表音文字化したものであります。 釈迦が、最も好んだスラバスティーという、釈迦が亡くなった(入滅した)クシナガラという北インドでネパール国境近くにある古代都市から5時間ほどのところにある町に建てられた修行寺であります。 そして、釈迦が入滅するとき、横になる床を、沙羅双樹という白雲木という木の葉で作ったと伝えられております。 驕れる者も久しからず、只春の夜の夢のごとし。織田信長が好んだ敦盛の、人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり、ひとたび生を受け、滅せぬもののあるべきや は この平家物語で書かれたものであります。 この物語の作者は未詳となっておりますが、この文章からしても、仏教に帰依した者であることは容易に想像できる訳です。 本来、源氏よりも古い天皇家の血を受けた家柄にもかかわらず、内裏に上がることさえ許されていなかった平氏は、清盛の父、忠盛が鳥羽上皇に気に入られたことから、やっと源氏と肩を並べるようになり、保元の乱で源平、敵味方入り乱れての戦で、源氏からは、父の源為義と敵同士で戦った義朝が、平氏からは清盛が、後白河天皇方について、崇徳上皇側を破った功績から台頭し始めた。源平合戦の始まりであり、天皇家および藤原摂関家による支配の時代が終わり、武家の時代に入った出来事であったのです。 1156年の保元の乱から、1868年徳川幕府の大政奉還までの700年余りの武家による支配の始まりであったのです。 小学校の運動会で紅白の帽子をかぶり競い合うルーツも、年末の紅白歌合戦も、紅白と言うと、紅は源氏、白は平氏と決まっておる訳です。 源氏の方が、先行したのは、八幡さんで有名な、全国に約5万あると言われている八幡宮で元服した八幡太郎義家が、 蝦夷(今の東北地方)を討伐する征夷大将軍になったことから繁栄しだしたからであります。現在でも東北地方のことを奥羽地方と呼ばれているのも、日本海側を出羽(でわ)の国、太平洋側を陸奥(むつ)の国と呼ばれていたことから来ておる訳です。相撲で有名な出羽海一門も、力士が東北出身が多いことから生まれた名門部屋になっていったのでありますが、この蝦夷の地が、京の朝廷からしたら、遠すぎて、なかなか支配権が届かないために、常に蝦夷を監視する必要がある。その任に当たったのが義家で、まず出羽の国を治める出羽守、そしてその後、陸奥守兼鎮守府将軍に就任した訳であります。後に征夷大将軍を名乗るのは源氏の姓の者だけであるという不文律ができたのも、この義家が鎮守府将軍になったからであります。 征夷大将軍というのは、坂上田村麻呂が、出羽・陸奥に住む蝦夷を討伐する為に、さし向けられたのが最初でありますが、それを引き継いだのが源義家であったのです。 この不文律は江戸末期まで続きます。徳川家は、源氏の血をまったく引き継いでいないが、征夷大将軍になると、源姓を名乗ったのです。 そして八幡太郎義家と呼ばれていたことから、その後、八幡宮が源氏の本宮になったのです。 その義家の孫が義朝であったのですが、保元の乱で平家の清盛と手を組んで勝ちを治めますが、その後、清盛の政治能力に屈し、保元の乱から、わずか3年後の、1159年(平治元年)12月の、平治の乱で源氏は滅ぼされる羽目になるのです。 しかし、歴史の裏には女あり、の諺もあるように、義朝の愛妾であった常盤御前に心を奪われた清盛は、義朝の嫡子頼朝、常盤御前が生んだ義経、という腹違いの兄弟の命を救った為、平家の滅亡の原因をつくってしまうのです。 源氏物語が、宮廷物語であるのに対し、平家物語は、軍記物語で、清盛を主人公にした物語でありますが、そのテーマは藤原公家支配から、物部(もののふ)を祖とする、武家支配の新しいパラダイムに入ったことを象徴することであったのです。 そこには、天皇とは言え、実質政治は、藤原摂関家が支配し、しかも皇后には、藤原氏の姫がなることが慣例で、天皇と言えども、藤原の血も引き継がせ、天皇家の外戚となって、権力を欲しいままにしていたのに対し天皇家が反発し、72代白河天皇が親政を推進しようとしたのが、始まりで、その後、堀河、鳥羽、崇徳、近衛、後白河、二条、六条、高倉、そして81代安徳天皇までの10代の天皇は、常に藤原摂関家の力を削ぎ落とすために、時には源氏と、時には平氏と与してきた背景があったと言えるのではないでしょうか。 そして、平氏の血を引いた安徳天皇が2才で即位、4才で入水という源平合戦の結末で、藤原・公家支配から、源・武家支配を、天皇家が受け入れたことを、この平家物語で宣言しているように思えてなりません。 徳川慶喜の水戸家が、一貫して尊王思想を守り、大政奉還をしたのも、こういった経緯があったからではないでしょうか。また天皇家も、薩摩・長州の主張にも拘わらず、徳川慶喜を厚遇したのも、同じ理由からではないでしょうか。 平家物語は、そういう点においては、日本の歴史で重要な出来事を、ほぼ事実に近い形で伝えた良識ある文献であると評価できるのではないでしょうか。 それだからこそ、作者未詳で、琵琶法師の語り歌という形態を取ったのは、肯けることだと思います。 歴史の真相は、やはり口頭伝説が最も信憑性が高いと言えるのでしょう。 |