第三十八章 戦後の日本語

戦後半世紀を過ぎましたが、我が国には、大きな分岐点となる事件が二つありました。
ひとつは、昭和39年の東京オリンピックであります。
もうひとつは、昭和64年、つまり平成元年前後から起きたバブル経済とその破裂であります。
このふたつを敢えて事件と申しましたのは、この出来事が、日本の国を極端な首都・東京一点集中構造にしてしまった結果、ガラス細工のような壊れやすい体質にしてしまったからであります。
東京オリンピックまでは、首都は東京ではありますが、明治以前までの京都を都とした、上方経済・文化の伝統と独立性が西の横綱として、どっしり構えて、バランスのとれた国でありました。それが崩れ始めたきっかけが東京オリンピックでありました。
国の威信をかけて、アジアで初めてのオリンピックを成功させなければならない為に、東京の大変貌を実現させました。
その中での最大のものが、首都高速道路を中心とした道路整備事業でした。
アメリカが大恐慌から脱出するのに最大の貢献をしたルーズベルトのニューディール政策は、全米を網羅するフリーウェイの大建設でありました。
ナチスドイツのヒットラーが第一次世界大戦の敗戦が生んだ極端な疲弊した経済の復興の為に、採った手は、アウトバーンという制限速度のないフリーウェイの建設でありました。
結局、自動車社会へ大転換する前段階としての骨格づくりが、道路建設であったのです。そしてその骨格が出来ると、いよいよ自動車の登場であります。
ドイツのメルセデスベンツが初めて自動車というものをつくり、その大発展に貢献したのが、ヒットラーがつくった、あのかぶと虫スタイルのフォルクスワーゲンの大量生産であります。
アメリカも同様に、車社会になったきっかけは、フォード一世がつくったオートメーション生産システムによるT型フォードでした。どちらも車の普及を目指した大衆車でした。
東京オリンピックは、まさに先進国のトレードマークである車社会への大変貌の事件であったのです。
ただ、アメリカと違ったのは、東京だけの変貌であって、その為に、地方は逆にその犠牲に遭ったことであります。一方、アメリカのニューディール政策による道路整備は全米にわたって行われたことです。
アメリカの経済は、もちろんニューヨークが中心ではありましたが、全米の各都市に、大企業が誕生していったのに対して、日本の場合は、大阪にもありましたが、ほとんどが東京に集中してしまいました。
そして、ふたつめのバブル経済で、決定的に東京一点集中型国家になりました。
そしてバブルの破裂。
その結果どうなったか、東京以外の地方は死んでしまいました。
人間の体で言えば、心臓の東京ばかりが肥大して、他の器官に血液が回らなくなってしまった結果、ぼろぼろの肉体に、肥大化した心臓だけが活発に動いておるような状態であった訳です。
バブル破裂後の平成大不況が今も続いておるのは、依然、心臓だけが活発に動いておるだけであるからです。
政府が、景気は回復したと言っても、それは東京経済が良くなっただけで、地方はまったく変わらないのが現状であります。
これは、あきらかに人災であります。
上方と言いますように、京都があるから、上方と言ったのですが、経済は大阪を中心に発展してきたのが江戸時代であったのです。当時の米を扱ったのは、すべて大阪で、米の市場価格もすべて大阪で決められていました。
大阪は独立の精神が強く、自分たちの町は、お上に頼らずに、自分たちでつくったのです。そのベースがやはり道路建設から始まったのです。
今でも、大阪の人たちは、道路は自分たちのものという感覚を持っている人たちがたくさんいます。
自分の家の前の道路は、自分が提供した土地であるから、自分の道路であると思っているのです。
大阪で駐車違反が多い原因も、ここから来ておる訳です。また奇異な光景が大阪では見られます。大阪には、個人の駐車禁止の看板が、市街地には多く立てられていることであります。これなどは、まさに自分の家の前の道路は、自分の道路だと思っているからであります。
どうして、こういうことを、お話しするのかと言いますと、日本のやまと言葉の原点は、関西弁にあるということを言いたかったからであります。
京都弁、大阪弁・・・といったものを総称して関西弁と言いましたが、今では・・・弁という、所詮、地方の方言になってしまったのです。
東京オリンピック以前は、今の標準語は東京弁と言われていました。江戸っ子弁とも言われていました。東京弁という言葉は今では死語になっております。
そしてバブル崩壊後、一気に、この東京弁である標準語が、日本全土に広がっていきました。
大阪ですら、今の子供たちは東京弁という標準語を使っておるのがほとんどになってしまいました。
この状態が依然続けば、やまと言葉の日本語はやがて消え去っていくことになるでしょう。
そういう意味では、アメリカ、カナダ、オーストラリアといった若い国家が、ビジネスの中心は、それぞれニューヨーク、トロント、シドニーであるのに対して、首都はワシントンDC、オタワ、キャンベラに置いているのは、国家としてのバランス感覚がとれている証拠ではないでしょうか。
日本の場合は、折角、関西、関東といった東西横綱があったのを、戦後、壊してしまったのは、文化的にも大きな損失だと思うのであります。