第四章 十七条憲法―3

「三に曰く
詔(みことのり)を承りては、必ず慎め。君は則ち天なり、臣は則ち地なり。天覆い地載せて、四時順(めぐ)り行き、万気通ずるを得。地、天を覆わむと欲するときは、則ち壊を致さむのみ。是を以って、君言えば、臣承り、上行えば下靡(なび)く。故に詔を承りては、必ず慎め。慎まずんば、自ら敗れむ。」

詔(みことのり)とは、当時は天皇の言葉であったが、現代に当てはめれば天であり、すなわち自然の摂理と考えてもいいでしょう。
地は、我々凡人である人間一般を指しているといっていいでしょう。
つまり、自然の摂理をよく守り、自然を君主と思い、人間である自分を家臣と思って君主の命、すなわち自然の摂理に従わなくてはならない。そうすれば天は上から覆い、地は万物を載せるという自然の理が正しく行われて、四時つまり春夏秋冬も順調にゆき、万物は自然の法則のままに正しく生成変化する。一たびこの法則を破って、逆に地が天を覆う、つまり人間が自然の摂理に逆らうようなことがあれば、大地自らが壊れてしまうであろう、すなわち人類の破滅に通じるであろう。

二十世紀の世界を振り返ってみれば、まさに「地、天を覆わむと欲するときは、則ち壊を致さむのみ」を顕現した世紀であったと言わざるを得ません。
その二十世紀の主役が、今、尚、主役を演じており、この日本においての戦後教育を誘導し、これに誘導された教育者たちが、現代のプラスチック青少年を造形したと言っても過言ではないと思います。
目(年)下の者が、目(年)上の者に敬語を使わないで平気でおる風潮こそ、撲滅すべきであって、やまと言葉を、ただ単純に「差別用語」として消し去る風潮は、根本的に見直す必要があると思います。
悪意を以って使用する差別用語は絶対に許されるべきでないことは、議論の余地はないが、日本の歴史、文化の、いい面を表現する上での、伝統の語彙に制限を加えることは、結局、天に唾を吐くことと同じであると認識すべきであります。