第四十章 標準語としての東京弁

日本の標準語は、江戸時代までは京都を中心にした上方弁、つまり関西弁でありました。江戸に幕府があって、政治の中心は江戸であっても、やはり一千年続いた平安文化の中心である京都弁をベースにした関西弁が、江戸時代末期まで標準語の位置を占めていたのであります。
明治に入って、首都が江戸に移され東京になってから、東京弁が関西弁にとって替わって標準語の位置を占めていく訳であります。
しかし、東京弁というのも、複雑に入り組んだ言葉でありまして、江戸時代まで続いた、いわゆる江戸っ子弁を指すのではありません。
東京には、今でも山の手という言葉が厳然と残っております。
山の手地域と下町地域とに大きく分かれたのが、この明治の初期から中期にかけての頃であったのです。
明治維新による、廃藩置県と四民平等で、江戸の人口は幕末から明治初期にかけて激減しました。
因みに江戸(東京)の人口の変遷を見てみますと、
幕末期:約100万人
明治6年:約60万人(但し、戸籍登録では約26万人でその差は、他国からの移住者と思われる)
明治11年:約80万人
明治21年:約130万人
明治31年:約140万人
明治41年:約160万人
明治44年:約190万人
大正5年:約230万人(隣接町村を含めると約300万人)
大正10年:約250万人(    〃      約350万人)
大正14年:約200万人(    〃      約410万人)
昭和5年:約210万人(     〃      約500万人)
昭和17年:約780万人(隣接町村含めて)
昭和20年:約230万人(   〃     )
昭和22年:約400万人(   〃     )
昭和30年:約800万人(   〃     )
この人口の変遷を検証してみますに、江戸末期に住んでいた100万人の江戸っ子が自然増加だけでは、これだけの人口にはなり得ないわけでして、地方からの流入者がほとんどであったと言っていいでしょう。
彼らこそが山の手の住人になったのです。
彼らは、当然江戸っ子弁など使いません。江戸っ子弁を使うのは、下町の人たちで、山の手に住む人たちは、当時の政府、役人に任ぜられた長州を主にした若い官吏が山の手に住んでいました。
そこから発生したのが東京弁であるのです。
丁寧語の代表格である「です」「ます」は、今では標準語の典型とされていますが、これは、もともとはあまり品のいい人たちがしゃべる言葉ではなかったのですが、当時の若い役人たちが、東京の女郎街で使われていた「でげす」で憶えたのを「です」として使ったのが最初であります。
従いまして、現代日本の標準語と言えば東京弁だと勘違いされておられる方もたくさんおられると思いますが、もともとは地方、特に長州弁がかなり入っており、それが江戸っ子弁と混ざり合ってできたのが標準語であることを、よく憶えておいて頂きたいと思うのであります。
現代日本語の歴史は、中国から漢字が導入された6世紀―7世紀から始まったと考えていいでしょう。
約千五百年の歴史がある現代日本語で、標準語とされているのは、たかだか明治以降、特に、明治20年以降で100年余りの歴史しかない訳であります。
そして、その前までの千数百年は、上方言葉が標準語であったということが、日本人の遺伝子に深く刻み込まれていることを決してわすれてはならないと思うのであります。