第四十四章 東西日本

今でこそ、日本列島と言われておりますが、それは弥生時代から古墳時代を経て、国家としての形態が出来てからのことで、それまでは、日本列島は中部地方、つまり名古屋辺りから、北は福井県辺りまで南北に縦断した大きな気候分岐線があって、そこから東西として分かれ、気候のみならず、文化でもまったく違った地域帯として存在していたのです。
縄文人が主に東日本に分布したのも、気候的に農業に適していなかった為に、狩猟民族型の生活をしていた訳です。そしてその民族のルーツは北方ツングース・アルタイ系であったと考えられ、満州から北朝鮮がその流入経路だと言われています。
一方、西日本は南方系で、インドシナ、インドネシア、フィリッピン、琉球から南九州つまり、薩摩に入って来たのと、南朝鮮から北九州に入って来た、ふたつの経路があったようです。これが弥生人であり、水田稲作を中心にした農耕民族だった訳です。
従って南北朝鮮も、38度線ではありませんが、全く同じ朝鮮民族ではなかったことがはっきりしてきます。
実際に北朝鮮人の方が、体格はかなり南よりも大きい人が多いし、考え方もかなり違うようであります。ここにも北方民族と南方民族の境界線があったようです。
余談でありますが、わたしは東西ドイツが統一したようには、南北朝鮮はしないように思います。
さて、本題に入りますが、南方系弥生人にとって、日本を統一するためには、東日本に棲息している縄文人を支配下に置くことが最重要課題であった訳です。
ここに、日本という国家の最も重要かつ隠された要因があるのです。
日本の歴史を検証してみますと、常に西と東の対決がベースにあることが、見え隠れしているのです。
別の言い方をすれば、弥生人と縄文人の対決、北方民族と南方民族の対決、農耕民族と狩猟民族の対決、そして中世に入って、その対決が天皇を中心とした貴族社会と武家社会との対決となって明治維新まで続いたのであります。
そして、遂に貴族社会の頂点である天皇が西の中心である京から江戸に移り住んだ明治は、2千5百年にわたる東西日本の対決に終止符を打った、一大事件であったのです。
これこそ、2千5百年(?)前の神武天皇の東征の再現であったのです。
徳川慶喜の大政奉還は、出雲・大国主命の国譲りそのものであったのです。
ここに、東日本のルーツが出雲にあり、出雲から丹後、若狭を経て越前福井から南の尾張に降りて行ったのと、更に東の信濃から坂東へと移り、蝦夷・アイヌ系と繋がって行ったのであります。
そういう点で、東西という言葉は、日本の歴史において、非常に重要な意味を持っているのであります。
トザイトーザイという言葉には重い意味が込められているのです。
その東西の中心が、西では京都・大阪であり、東は東京であったのが戦後まで続いたのであります。
従って、今でこそ、一都ニ府になっておりますが、戦前は、東京府、京都府、大阪府の三つが日本の中心である象徴であったのです。しかし、ここに既に落とし穴は用意されていたのです。府という言葉は、徳川家康を意味する言葉であることを忘れてはなりません。豊臣の時代、家康は岡崎から江戸に所領を移され、それ以後、内府殿と呼ばれ、駿河にいた時は駿府殿と言われていたのであります。江戸時代以降は、府とは江戸つまり東京のことを指し、都とは京つまり京都のことを指していたのです。
それが、戦後、東京都となった時点で、日本の国は西型社会から東型社会にどんでん返ししてしまったのです。
現在の京都、大阪の、特に経済の凋落ぶりは、必然的流れであったのです。
京都は説明するまでもありませんが、大阪は秀吉築城以後に急速に発達した土地でありますが、江戸時代も幕府は商業都市として保護する政策をとったために、米をはじめ全国の物資は大阪に集散し、西鶴のいわゆる「日本第一の津(港)」であって、大阪言葉の影響は極めて大きかったのです。殊に西鶴・近松の元禄文学は大阪で栄えたものであり、これらの文学の言語的影響は決して見逃すことのできないもので、特に近松の浄瑠璃文学は、この時代の国民的演劇として、日本国中、津々裏々にまで上演されたもので、用語表現はもちろん、発音・アクセントに至るまで大きな影響を及ぼしたのであります。
一方江戸は京大阪に比べれば、極めて若い都市で、江戸の住民は、新興都市の常として諸国の人々の寄せ集まりで、武士階級の多くは徳川家に仕えた三河・駿河の出身者で、城下町に住む住人は、全諸国人の集まりで、京・大阪・堺の上方出身者もおり、その中で最も多く移ってきたのが、江戸周辺の武蔵・相模・下総・上総のものでありました。彼らが使っていた言葉が江戸弁のルーツになった訳であります。
こういった、2千5百年に亘る東西日本の対立が日本の国を栄えて来させたのであります。
その対立が、まさに線香花火が消えていくかの如く今消えようとしております。
大阪の凋落は言うまでもなく、京都の伝統産業である織物、染物の着物産業が、急速に消えようとしております。
この現象を単なる西日本の衰退と取るなら、日本自体が、二千五百年の統一国家から、その前の、大陸から見た、単なる一諸島になる危険性を孕んでいることを、日本国民は感じているのでしょうか。