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第四十八章 寺山修司の世界 「勝つことを怖るるわれか夕焼けし大地の蟻をまたぎ帰れば」 この歌は寺山修司の青春歌集の「空には本」の中のひとつであります。 次はわたしの詩集「夕焼けの死」の詩であります。 蟻の一生 蟻ほど 働きものは 他にはいない その次の 働きものは 人間だ だから 人間は 蟻を 目の敵にする 一生懸命 働く 蟻ほど 憎らしい そして 足で 踏んづける その 働き蟻は 即死する 踏んづけた 人間は 何もなかったように 又 他の蟻を踏んづける 蟻の世界は 原爆を落とされた 混乱状態 阪神大震災の混乱状態 それでも 人間は 無関心 それなら 人間も ギャー ギャー 騒ぐでない 寺山修司の歌を知ったのは、ある知人から送られてきた「寺山修司青春歌集」でのことで、今から1ヶ月ほど前のことでありました。 膨大な彼の歌集を、毎晩つらつら読んでいた中で発見した歌であります。 瞬間、わたしが書いた「蟻の一生」を思いだしました。 彼が青春時代に書いたのでしょうから、もう40年以上も前のことだと思います。 その頃の日本は、まだ敗戦の傷がうずいていた頃であったはずであります。 自分たちが生きることだけで、せい一杯の時代であったはずであります。 その時代の普通の青年なら、蟻に情をかける余裕などあろうはずがありません。 多分、わたしの経験から言って、彼がこの歌を書いたのは、その蟻のことを、ただ一瞬感じただけのことだったと思います。 それでも、これだけの歌が出て来るのは、よほど時間の世界を超越した感受性を持っていないと湧いてくるものではありません。 わたしが「蟻の一生」を書いたのは、ほんの半年前のことで、日本という国の時勢を考えますと、誰でも湧いてくる内容であります。 言葉というのは、時間の経過とともに変化するものです。 しかし、そういった言葉は、人の心の中に残らないし、時間を超越する普遍性も持っていません。 その中で、時代背景を超えた、真理の言葉が湧いてくるのは、湧いてくる人自体も、時間、空間を超えて存在しているからだと思うのであります。 そういった、言葉がどれだけ残されているかが、文化の進化度ではないでしょうか。 |