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第七章 十七条憲法―6 「六に曰く 悪を懲らし善を勧むるは、古(いにしえ)の良典なり。是を以って、人の善を 匿(かく)すことなく、悪を見ては、必ず匡(ただ)せ。其れ諂(へつら)い詐(いつわ)るものは、則ち国家を覆すの利器たり。人民を絶つの鋒剣たり。また佞媚(ねいび)する者は、上に対しては、則ち好みて下の過ちを説き、下に逢いては、則ち上の失を誹謗す。其れかくの如き人は、みな君に忠なく、民に仁なし。是れ大乱の本なり」 悪を懲らしめ、善を勧める。すなわち勧善懲悪は、古来からの良い法則である。役人は人の良い行いを匿すことなく、悪を見つけたら、これを必ず糾明して、悪事を再発させないようにせねばならない。おべっかを使い、偽りを言うようなことは国家を覆すもので、人民を不幸な目に遭わせることになる。媚びへつらう者は、上に向かっては下の者の悪口を言い、下に向かっては、上の悪口を言うものである。こういう人間は、君に忠節の心がなく、また人民に対して仁愛の心を持たない者で、国家大乱のもとである。 よくよく考えてみるに、現在の日本のこの体たらくは、この太子の言う国家大乱のもとになることをやっておる者どもが、世の中で偉い地位を得ている者ばかりではないでしょうか。 聞いた話ですが、あるひとりの人間が大企業のサラリーマンをやっていたときに、ひどい公私混同するトップがいて、そのトップに媚びへつらう者なら、会社に多大なる損害を与えるミスを犯しても罪を問わず、そうでない者ならちょっとしたミスでも一生立ち上がれない処分をすることに義憤を持ち、独りでそのトップに敢然と立ち向かった。そして是々非々で糾弾した。そうしたら日本の代表的な企業でありながら、最初はその人を金で抑え込もうとしたが、これを拒否された。そして今度は、その場限りの対処療法で、事を逃れようとする、およそ世間でいう偉い人とは思えないみっともなさで、また謝罪すると約束したことも平然と「自分はそんなことを言った憶えはない」と嘯いて破る、そして約束した言質を証拠として取られていることを知るや、逃げまわるという破廉恥極まりないことをやって、そして国家から叙勲を受けておる。それが今の日本です。という話を聞いて、この太子の六条を教えてやってはどうですかと、笑いながら話したことが思い出されます。 上が上だから、それに媚びへつらう下の連中も平気で嘘をつき、約束を破る。そしてそういった連中が偉い地位に就いていく、これが日本の大企業社会の実態であります。これでは会社はもとより国家も滅びるのは自然の理だと思うと、わが国の将来に、暗澹たる想いをするのであります。 しかし、太子の時代に書かれた、この条文は、まさに現代にも通ずることを考えるに、こういった不条理が罷り通るのが人の世の常だと言わざるを得ません。 太子一族は、結局、蘇我一族に抹殺されたのですが、これは一見勧善懲悪ではなく、勧悪懲善のように思えますが、その蘇我一族も、その後大化の改新で滅ぼされる。時間のずれはあっても勧善懲悪の法則は厳然と働いていることを歴史が証明しているのです。 だから決して、世の中は不条理が罷り通るようなものでは無いことを一般大衆は認識し、勇気を奮って立ち上がれば、人の世は、まんざらでもないことを体感できるのです。その勇気が今の日本人には欠けている。 国家百年の大計のために、ひとりひとりが勇気を奮って立ち上がる。 結局それが自分自身の為にもなることを、知って頂きたいと思うのであります。 |