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先輩の誘い あの日あの時 あの人が言った わたしは薔薇が好き 燃える真っ赤な薔薇が好き それに気づかぬ幼いわたし あの日あの時 わたしは言った 僕は菫の花が好き 冷たく優しい菫の花が好き それを察した大人のあなた あの日あの時 二人は言った 薔薇の赤と菫の青 それはあまりにも違いすぎる それでも好きなものは好き あの日あの時 「健吾か?」 寮の先輩の中尾から、電話が掛かってきた。 「はい、そうですが。何ですか?」 寮の先輩で、かつ高校の先輩でもあった中尾だが、何か好きになれないタイプだった。 彼は早稲田大学文学部三年生で、寮でも一年生と三年生だ。 高校は一緒だったが、一浪して早稲田大学に入ったので、一緒の高校生活を送ることはなかったから、初対面は寮に入ってからだった。 寮長は四年生の池田万太郎という早稲田大学理工学部の立派な先輩だった。 楽しい寮ではあったが、繊細な健吾の目から見て、学生の本分を忘れずに楽しい大学生活を送る本物の若者だ、と思う数少ない先輩の一人だった。 池田寮長も同じ高校の先輩だったが、中尾とは違って、寮の下級生から憧れられ、尊敬もされていた。 「あのなあ、パーティーで会った石原裕子さんの家に、インちゃん、オメと一緒に遊びに来てスキヤキご馳走になってるんや。お前もけえへんか?」 石原裕子という名前を聞いただけで、その気になったが、三年生の先輩たちと一緒なのが引っかかった。 「彼女が、お前に会いたいと言ってるんや。来いや!」 その言葉で、すぐに決心した。 「どこに行けばいいんですか?」 五反田から出ている池上線という電車に乗って、千鳥町という駅に下りると、改札口で、裕子が例の真っ白い歯を見せて微笑ながら待っていてくれた。 「ごめんなさい、無理に呼んだりして。気分悪くしている?」 パーティーの時は、黒いワンピースを着ていた裕子だったが、今日はジーンズに青いセーターのラフな格好をしていた。 その姿を見ただけで、何かより親密な間柄になったような感じを持った健吾は、「いいえ、とんでもないです。でも・・・」 裕子は、彼の気持ちを察していた。 「あの先輩の方たちでしょう?気を遣うから嫌よね?」 健吾は素直に認めた。 「だけど、気を回さないでね。中尾さんとは恋人同士でもなんでもないのよ。わたしのところの大学祭に来られて、知り合っただけで、他の三野さんも、山本さんも一緒だったの」 三野正男、通称インちゃん。山本袢之丞、通称オメ。 二人も、同じ寮の三年生だった。 インちゃんこと三野さんは、早稲田大学のレスリング部員で勉強はしていなかったが、顔に似合わず人の良い優しい先輩だった。 オメこと山本さんは、法政大学生だったが、いつも寮の廊下で下手なギターを弾きながら、演歌ばかり歌うというより、怒鳴っていた先輩だった。 駅から数分歩いたところにあるアパートの一階が彼女の住まいだった。 「お邪魔します」と言って、裕子が案内してくれた縁側から部屋に上がると、もう一人女性がいた。 「わたしの姉なの。ここで一緒に住んでいるのよ」 裕子が紹介してくれた姉は、気さくな感じで、「あなたが、裕子がぞっこんの、噂の健吾君?」 それを聞いた健吾は、驚きと戸惑いで言葉が出なかった。 「そうや、オメが惚れている彼女を、一年生の健吾に取られてしまいよった」 「そんな、僕が取ったなんて!」 健吾は、濡れ衣を着せられた思いで反発した。 「冗談や、気にすな!」と中尾が言ったが、山本は不機嫌な顔になった。 裕子は、変な雰囲気になるのを気にして、「食べ物が足りないし、ビールもなくなったので、わたし買ってきます。健吾君、ボディーガードになってくれない?」 「そら、また健吾君や。今日は最初から健吾の噂で持ちきりや」 中尾の、そんな言葉も気にしないで、裕子は健吾を外へ誘い出した。 「迷惑かけたようで、ごめんね。やっぱり呼ばなければ良かったわね」 健吾に対する話し方が、お姉さん風な場合と、そうでない場合が交錯している裕子の心情を、勘のいい健吾は感じ取っていた。 「裕子さんは、今何年生ですか?」 裕子が気にしていたことを聞いたのだが、はっきりさせて置きたかった健吾は敢えて尋ねた。 「健吾君は、もう十九才になった?わたしは今年二十一才になった大学三年生のお姉さんよ」 早生まれの健吾は、まだ十八才だったが、黙っていた。 「わたしは、昭和女子大学生で、実家は千葉なの。姉は今年大学を卒業して、東京で勤め出したけど、ずっと一緒に住んでいるの」 一時間ほどの真っ暗な夜の散歩の話だったが、お互いに遠慮し合う雰囲気がとても新鮮で、一生、健吾の脳裏から離れない程の素晴らしい思い出となった。 どんな話をしたのか思い出せなかったが、一つだけ強烈な印象を持った事がある。 「わたしは、自衛隊が大嫌い。戦争をする兵隊なんて絶対に嫌なの」 あんなに優しい表情の裕子が、自衛隊の話が出た途端に、かたくなな態度に変わったのを見て健吾は驚いた。 「よほど嫌なことがあったのかなあ。それとも左翼思想の女性なのかなあ」 健吾が、三島由紀夫のことが好きで、彼が自衛隊に入って訓練をしている話をしたのがきっかけだった。 その瞬間、まだ十八才の幼い健吾の心に、裕子に対するネガティブな印象を刻印することになったが、本人はそれほど強い印象を受けたとは思っていなかった。 裕子の言葉に、何か自分の意見を言った記憶はあるが、はっきりは憶えていなかった。 それよりも、新鮮で清潔感に溢れているこの女性が、自分に好意を持ってくれている喜びの方が遥かに大きかった。 みんなが待っているアパートに帰って来た二人は、もう別世界にいた。 赤い女性 わたしは自衛隊が大嫌い わたしは戦争が憎い あなたは戦争が怖くないの 真剣な眼差しであの人は言った そのときの わたしはただの青年 あの人に何か言ってあげるべきだった だがあのときの わたしはただの青年 赤い色の女性だと思ってた だがいま思う あの人が正しい だがいま感じる あの人が愛しい どこにいるのか赤い女性 死ぬまでに逢わねばならない 逢ってありがとうと言わねばならない |