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第五十七話 狢(むじな)の現代人間社会 政治と宗教、宗教と科学、科学と政治。 これらはみんな二元要因に外ならない。 つまり、政治も宗教も科学もみんな同じ穴の狢です。 何故なら、量的優位性を追いかけているからです。 つまり、数の多さを競っているからです。 民主主義という多数決の原理を金科玉条にしているのが政治です。 信者数の多さを競っているのが宗教です。 客観性、つまり、多くの同一意見を競っているのが科学です。 数の多さを競えば、質は低下する。 量的優位性=質的劣位性 素粒子のミクロ世界から宇宙のマクロ世界まで貫く法則です。 現代科学はナノ世界とかナノ技術とか言って騒いでいますが、所詮、10億分の1(10-9)の世界の話であり、理論上では10-∞の話までできるが、実用上ではやっとナノ世界(10-9世界)まで達しただけのことで、これも数の多さを競っている証明です。 現代社会は数の多さを競う社会と言っても過言ではない。 経済においてもそうであり、その極みが拝金主義であります。 お金持ちになることが好いことだと、子供までが信じている。 新田哲学では、拝金主義の極みを「超拝金主義」と揶揄しています。 お金持ちの数は少ない。 つまり、質的優位性=量的劣位性 貧乏の数は多い。 つまり、質的劣位性=量的優位性 数の少ないお金持ちを競うなら道理(ミクロ世界からマクロ世界を貫く法則)に適っていますが、老若男女、ガキまでがお金持ちになりたがる。 質的優位性=量的優位性は絶対不可能です。 絶対不可能なことを追い求めているから「超拝金主義」と言っているのです。 わたしたち人間だけに悩みや四苦八苦があるのは、“無いものねだり”するからです。 「超拝金主義」とは“無いものねだり”に外ならず、政治も経済も宗教も科学も・・・みんな“無いものねだり”をしているに過ぎません。 現代の人間社会自体が、同じ穴の狢になってしまっている。 「聖職」という言葉を死語にしてしまったからです。 |