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第六十三話 無限宇宙と有限宇宙 「無限」とは一体どんなものでしょうか。 人間は、その反義語として「有限」という言葉をつくった。 第五十二話【錯覚(言葉)の生き物・人間】でお話しましたように、「無限」が先ず実在していたから、その(不在)概念として「有限」という言葉をつくったわけです。 「無限」がはじめにありきです。 神が天地創造者であっても、そんな天地は「有限」のもので、神を創造した者こそが「無限」であります。 アインシュタインが「有限」宇宙しか論じず、「無限」宇宙は神の領域だと言った。 科学が宗教と同じ穴の狢である証言に外なりません。 では「無限」とは一体どんなものでしょうか。 拙著「新しい日本」第十一章【新しい世界(四つの可能性)】に、またまたそのヒントが隠されていますので、引用します。 「「二元論」・「全体と部分の相対性の法則」・「在り方と考え方」のそれぞれの固有項が(絶対)数字1であり、共有項が(相対)数字2である。 つまり、 固有項が、実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』である無限宇宙である。 共有項が、映像宇宙であり、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』である137億光年の拡がりを持つ有限宇宙である。 つまり、 固有項が絶対性理論に外ならない。 共有項が相対性理論に外ならない。 従って、 「一元論」は絶対性理論に基づき、1nの世界である。 「全体の法則」は絶対性理論に基づき、1nの世界である。 「在り方」は絶対性理論に基づき、1nの世界である。 従って、 「好いとこ取りの相対一元論」は相対性理論に基づき、1(n)の世界であり、(1+1)(n)の世界であり、(1+2)(n)の世界であり、(a2 + b2)の世界であり、(a3 + b3)の世界であり、(a2 + b2+ c2)の世界であり、(a3 + b3+ c3)の世界である。 「部分の法則」は相対性理論に基づき、1(n)の世界であり、(1+1)(n)の世界であり、(1+2)(n)の世界であり、(a2 + b2)の世界であり、(a3 + b3)の世界であり、(a2 + b2+ c2)の世界であり、(a3 + b3+ c3)の世界である。 「考え方」は相対性理論に基づき、1(n)の世界であり、(1+1)(n)の世界であり、(1+2)(n)の世界であり、(a2 + b2)の世界であり、(a3 + b3)の世界であり、(a2 + b2+ c2)の世界であり、(a3 + b3+ c3)の世界である。 従って、 「二元論」は絶対・相対性理論に基づき、(1+1)nの世界であり、(a + b)2の世界であり、2abが進化係数である。 「全体と部分の相対性の法則」は絶対・相対性理論に基づき、(1+1)nの世界であり、(b + c)2の世界であり、2bcが進化係数である。 「在り方と考え方」は絶対・相対性理論に基づき、(1+1)nの世界であり、(c + a)2の世界であり、2caが進化係数である。 更に、 「二元論」・「全体と部分の相対性の法則」・「在り方と考え方」は絶対・相対性理論に基づき、(1+2)nの世界であり、(a + b +c)2の世界であり、(a + b +c)3の世界であり、(2ab + 2bc +2ca)及び、(3ab2 + 3a2b + 3bc2 + 3b2c +3ca2 + 3c2a + 6abc)が進化係数である。」 「(静止)宇宙論」を受けて、更に難解な表現をしています。 平たく言えば、 「無限」宇宙が実在して、「有限」宇宙はその映像に過ぎないのに、わたしたち人間は、映像に過ぎない「有限」宇宙を実在(現実)宇宙と錯覚しているわけです。 だから、わたしたち人間だけが、「好いとこ取りの相対一元論」、「部分観」、「考え方」という相対(映像)の世界で生きていると錯覚しているのです。 他の生き物たちは、「一元論」、「全体感」、「在り方」という絶対(無限)の世界で生きているのです。 |