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第七十一話 「死の観念」・「死の概念」・「死の理解」 死が怖いのは、死の正体がわからないからです。 死ぬのが怖いのは、死期がわからないからです。 わたしたち人間は好いとこ取りをして生きています。 つまり、動き続けていると錯覚して生きています。 だから死ぬのが怖いのであって、死が怖いのではありません。 運動の世界(宇宙)、映像の世界(宇宙)、『過去・(現在)・未来』に思いを馳せる「考え方」の世界で生きていると錯覚しているから、死ぬのが怖いのです。 他の生き物はただ生きているだけです。 つまり、止まって・動いて・止まって・動いての中の「止まって」で生きています。 だから、死が怖いのであって、死ぬのが怖いのではありません。 実在の世界(宇宙)、静止の世界(宇宙)、『今、ここ』という「在り方」の世界で生きていますから、死が怖いのです。 死を知っているから、死ぬのが怖い。 死を知らないから、死が怖い。 死を完全に知ったら、死も、死ぬのも怖くなくなります。 無知が死の恐怖、つまり、「死の観念」を持つ。 他の生き物の死への姿勢であり、否定的な死です。 つまり、「好くない死」です。 無知から有知へ移行することによって、死ぬ恐怖、つまり、「死の概念」を持つようになる。 知性あるわたしたち人間の死への姿勢であり、やはり、否定的な死です。 やはり、「好くない死」です。 有知から理解へ移行することによって、「死の観念」も「死の概念」も超えた「死の理解」に至ります。 わたしたち人間が目差すべき「超知性」・人間の死への姿勢であり、肯定的な死です。 ここに至って、「好い死」になります。 新田哲学でいくら“死は悪いものではなく、好いものだ”と主張しても、みなさんが納得されないのは、「死の概念」で停滞していて「死の理解」に至っていないからです。 中途半端な知性で停滞しているからです。 死の正体を知る。 これが完全な知性であります。 その登龍門が死期を知る、つまり、死期は自分で決めること、つまり、自分の命は自分で絶つことです。 自殺の真の意味がここにあります。 そうすると、その先に、死の完全な正体が見えてきて、「死の理解」に至ります。 |