第百一話 脳が元凶

わたしたち人間にとって、『今、ここ』とは『今の自分』に外ならなかった。
『今』という虚時間と呼ばれる汽車が走っている中に自分が乗って人生という旅をしている。
『今』という汽車の中の自分が乗っている場所が『ここ』であり、『ここ』から窓外に『過去・現在・未来』という実時間と呼ばれる光景が見える。
『過去・現在・未来』という窓外の光景を見ているのが『今の自分』である。
『過去・現在・未来』という窓外の光景を見ていなければ『今、ここ』である。
つまり、『過去・現在・未来』という光景を鏡にして自分という姿を見ているのが自分なのであって、『過去・現在・未来』という光景を見ていなければ自分の姿を見ることはない、すなわち、『自分は・・・』という自我意識は生まれません。
わたしたち人間だけが自我意識があって、他の生き物には自我意識がないのは、『過去・現在・未来』という光景を見ているか、見ていないかの違いです。
犬が湖面に映っている自分の姿を見て吠えるのは、映っている映像が自分だと気づかないからです。
つまり、犬には自我意識がない証明です。
鏡に映っている自分の姿を見て、自分を意識する。
自我意識の実相がここにあるのです。
自我意識、つまり、エゴと呼ばれる『心』、『精神』、『魂』、『霊』といったものの正体は『過去・現在・未来』という鏡に映った自分の映像に外ならないのです。
『過去・現在・未来』さえ見なければ、『自分・・・』と思う自我意識など生じるべくもないのです。
逆に言えば、『過去・現在・未来』さえ見なければ、『今、ここ』を生き切ることができるのです。
その時には『今の自分』など一切ない。
『死の概念』、つまり、“自分もいつか必ず死ぬ”という考え方を持ってしまった、わたしたち人間は、“いつか必ず”という屁理屈に惑わされた“自分”という映像を自分だと錯覚(勘違い)するようになってしまった。
『今の自分』の誕生です。
自他の区分けをする五感の産物こそが『今の自分』です。
更に、『今の自分』を映し出している『過去・現在・未来』という光景が動いていて、『今の自分』が静止していると思い違いしているのが脳に外なりません。
五感はただ自他の区分け、自我意識を生んだだけなのに、脳が本末転倒の思い違いをしている。
他の生き物でも、生まれたての赤ん坊でも、個別の肉体を持っている限りは、その外皮(五感)によって自他の区分けはします。
つまり、自我意識はあるが、『過去・現在・未来』という光景が動いていて、『今の自分』が静止しているという思い違いはしていない。
つまり、『過去・現在・未来』という窓外の光景を見ていない。
ただただ『今、ここ』にいるだけです。
『過去・現在・未来』という窓外の光景を見るか、見ないか。
脳はここに関わっている。
何故ならば、
わたしたち人間だけが『過去・現在・未来』という光景を見る理由は、『死の概念』を持っているからです。
他の生き物が『過去・現在・未来』という光景を見ない理由は、『死の概念』を持っていないからです。
それが知性、つまり、脳の正体です。
五感はただ自他の区分けをするだけです。
脳が『死』を知った張本人です。
脳とは大脳新皮質に外ならないことは言うまでもありません。
知性とは錯覚を亢進させる麻薬に外ならないと新田哲学が主張する所以がここにあります。