第百十話 『今』という時間=『ここ』という空間

「光」を絶対者(神=C=Constant=一定)とし、『過去・現在・未来』という実は光景(空間)を「時間」という四次元要因に仕立て上げて、わたしたち人間を代表にした三次元立体の「空間」を支配させたのが相対性理論に外ならない。
「時間」の本質は「運動」にあることは何度もお話しました。
つまり、「時間」は動いている(流れている)ものであり、止まっている(流れていない)時間などありません。
「時間」とは「時の間」であるわけですから、二つの時(時刻)の間を移動する運動に外ならないのです。
従って、「瞬間」も所詮は「時間」という運動であって、静止しているものではありません。
「この瞬間」=現在の所以です。
そうしますと、『過去・現在・未来』は相対性理論が主張するような時間ではないことになります。
『今』という走っている(動いている)汽車から見える窓外の光景が『過去・現在・未来』であって、一見、動いているように見えるがそれは錯覚(勘違い)であって、動いているのは『今』という汽車ですから、『過去・現在・未来』は静止している「空間」であって、『今』が運動している本当の「時間」であって、『今の自分』が「時空間」に外なりません。
四次元要因の「時間」が三次元「空間」の上に君臨しているのでは決してありません。
『今の自分』が「時空間」であります。
『今』が「時間」であります。
『ここ』が「空間」であります。
『今、ここ』が「空間」であります。
それが、“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無境界の宇宙”に外ならないのです。
『今』という「時間」の中の『自分』という「空間」と言い換えてもいいでしょう。
『自分』という「空間」の中の『今』という「時間」と言い換えてもいいでしょう。
つまり、『今=時間』=『ここ=空間』に外ならない。
結局の処、
「時間」とは人間が勝手につくった(捏造した)妄想概念であって、実在するのは静止空間である『ここ』しかないのです。
四次元宇宙など妄想に過ぎないのです。
よくよく考えてみれば、一次元は「線」、二次元は「平面」、三次元は「立体」、ここまでは描くことができる、つまり、実在しますが、四次元など描き様がない、つまり、妄想に過ぎないのです。
従って、『今の自分』も妄想に過ぎず、だから「時空間」と言ったまでです。